ども。ミロです。
さて、マンガ誌のカラー口絵、戦記アニメ、戦記マンガと来て、
今回はいよいよ「戦争映画」の登場です!
わたしが初めて見た戦争映画は、たぶん『日本海大海戦』だったと思うんですが、
話の流れの都合上、
真珠湾奇襲攻撃を日本で初めて描いた作品、
『ハワイ・マレー沖海戦』(東宝 昭和17年)を紹介したいと思います。
『ハワイ・マレー沖海戦』
これは、真珠湾攻撃1周年記念に公開された、
国民の戦意高揚を目的として製作された国策映画です。
戦時中で一番のヒットとなった映画で、
映画を見た人々を「元気にした」映画でした。
しかし、そんなことはどうでもよろしい。
円谷英二ファンの私としては、
なにより世界にミニチュアワークを駆使した特撮の円谷英二の名を知らしめた最初の作品であることの意義が大きい!
当時のガキのひとりとして、
『ウルトラQ』から始まったテレビ円谷特撮ワールドに釘づけになり、
当然のように『ゴジラ』シリーズほかの円谷怪獣映画に夢中になるという、
当時よくある道をたどっていたのですが、
じつは円谷英二には「戦争映画」に名作と呼ばれる作品がたくさんあることを知ってしまったんですね!
それからは、円谷戦争映画をあさり始めました。
『海軍爆撃隊』(昭和15年) 未見
『燃ゆる大空』(昭和15年) 未見 2015年DVD入手
『南海の花束』(昭和17年) 未見 2015年DVD入手
『ハワイ・マレー沖海戦』(昭和17年) ビデオ所有
『阿片戦争』(昭和18年) 未見
『決戦の大空へ』(昭和18年) ビデオ所有
『加藤隼戦闘隊』(昭和19年) ビデオ所有
『雷撃隊出動』(昭和19年) 未見 2015年DVD入手
『きけわだつみの声』(昭和25年) 未見
『ひめゆりの塔』(昭和28年) 未見
『雲流るる果てに』(昭和28年) ビデオ所有
『太平洋の鷲』(昭和28年 ) 未見 2015年DVD入手
『さらばラバウル』(昭和29年) 未見 2015年DVD入手
『潜水艦イー57降伏せず』(昭和34年) ビデオ所有
『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』(昭和35年) ビデオ所有
『太平洋の翼』(昭和38年) ビデオ所有
『青島要塞爆撃命令』(昭和38年) ビデオ所有
『太平洋奇蹟の作戦 キスカ』(昭和40年) ビデオ所有
『ゼロ・ファイター 大空戦』(昭和41年) ビデオ所有
『連合艦隊司令長官・山本五十六』(昭和43年) ビデオ所有
『日本海大海戦』(昭和44年) ビデオ所有 遺作
その中でも特筆ものなのが、真珠湾攻撃を描いた『ハワイ・マレー沖海戦』です。
海軍が製作に協力したことになっていますが、
当時は真珠湾攻撃作戦そのものが軍事機密でした。
だから海軍さんは、参加した戦闘機はおろか、空母の写真さえ貸してはくれず、
当の真珠湾の映像そのものも、
1枚の新聞の小さな切り抜き写真だけを参考にして大きなプールにセットを組んで撮ったそうです。
空母の方は、なんと敵・アメリカの空母の写真しか手に入らず、
それをモデルにして日本の機動部隊を作ってしまったものだから、
海軍さん同席の試写会では、
「なんだ、これは! 敵の空母ではないか!」と海軍さんを驚かせてしまったそうです。
この作品のエピソードとしてもうひとつ、
戦後、進駐して来た米軍にこの映画のフィルムが接収され、
なんと真珠湾奇襲攻撃の「記録映画」として指定を受けてしまいます!
われらが円谷特撮による「模型」のゼロ戦や九九式艦爆による真珠湾攻撃を、
占領軍は特撮と見抜けなかったんですね!
昭和23年、円谷英二は軍部への戦争協力者とみなされ、
GHQにより「公職追放」となり、
日本再独立後の昭和27年に公職追放解除を受けるまで、
貧窮に耐えしのんだ生活をおくります。
そして昭和29年に『ゴジラ』を発表することで、
ふたたび「特撮の円谷英二」の名を世界中にとどろかせます。
戦後、円谷英二は、もう一度同じシチュエーションで、
しかも今度は「カラー」で、真珠湾攻撃シーンを撮っています。
それが『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』(昭和35年)です。
『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』