えっ!まだ太平洋戦争は終わってなかったのか?~昭和30年代の少年マンガ誌

大本営発表!
いよいよこのブログは太平洋戦争に突入する!
ニイタカヤマノボレ。


ども。ミロです。
予告通り、8月15日に向けて、
「太平洋戦争」の話題をとりあげて行こうと思います。

いったいどのようにして昭和30年代に子供だった私が、
「太平洋戦争」というものを知って行ったのか?

それは当時の少年マンガ雑誌を見ればわかります。

『週刊少年サンデー』昭和38年11月17日号

表紙絵は小松崎茂画伯による「ムスタングとゼロ戦の空中戦」です。
小松崎茂画伯については、あまりに大きな存在なので、
あらためてとりあげたいと思います。

最初のページを開くと、
カラー見開きで「せいみつ図解 アメリカ海軍艦上戦闘機コルセア F4U-4型」、
「ロケット弾、ナパーム弾をつんで地上攻撃、空からの「殺し屋」とよばれた、恐怖の戦闘機!!」とあります。

さらにページをめくると、2色カラーで、
「ゼロ戦の好敵手ムスタングのひみつ」という特集が5ページにわたって展開します。
今週号のメインの特集がこれです。

さらにめくっていくと、2色&1色カラーで、
トップ読み物「太平洋戦争のきろく 猛獣のさいご」が6ページあります。
東京上野動物園で実際にあった動物たちの悲劇の記録ですね。
当時、リアルタイムで読んだ記憶があり、
いまだに心のどこかにこの記事のことが残っています。

このように当時の少年マンガ誌の巻頭を飾るのは、
迫力あるイラストがふんだんに使われた解説記事や読み物でした。
これはカラー口絵と呼ばれます。
最近の少年マンガ誌では見られなくなりましたが、
当時の「児童出版文化」のひとつであり、
いまではなくなってしまったのが惜しい気もします。

お手軽にはできない企画だけに、
経費削減がまかりとおる昨今では、不可能なんでしょうね。

そしてもうひとつ、
『少年サンデー』といえば、名物企画だったのがこれです!

少年太平洋戦史(『週刊少年サンデー』昭和39年8月2日号)

私が読んだのは小学生の時でしたが、
太平洋戦争というものをおぼろげながらに知ったのは、
「少年太平洋戦史」によるところが大きかったと思います。

当時の少年マンガ誌というのは、
『少年マガジン』なども含めて、多かれ少なかれこんな状態でした。

まるで太平洋戦争がまだ終わってなかったような錯覚に陥りますね。

このころがいわゆる「第1次戦記物ブーム」の頃に当たります。

ゼロ戦や戦艦大和を知っていることは、
当時の戦後昭和少年にとっては一般常識でした。
今の少年たちがガンダムやエヴァンゲリオンを知っているようなものです。

『0戦はやと』1964年(昭和39年)