ども。ミロです。
前回は軍歌『同期の桜』の変遷を見てきましたが、
いい歌というのは人々に歌い継がれていくうちに、
時代に合わせた改変がされることがままあるものなんですよね!
今回もそんな歌を取り上げてみたいと思います。
まずは元歌から! 聞いてください。
海軍小唄(ズンドコ節)
歌 / 三島敏夫とそのグループ
海軍小唄(ズンドコ節)
作詞者不詳 佐藤富房・原作曲
汽車の窓から 手をにぎり
送ってくれた 人よりも
ホームの蔭で 泣いていた
可愛いあの娘が 忘られぬ
トコズンドコ ズンドコ
花は桜木 人は武士
語ってくれた 人よりも
港のすみで 泣いていた
可愛いあの娘が 目に浮かぶ
トコズンドコ ズンドコ
元気でいるかと 言う便り
送ってくれた 人よりも
涙のにじむ 筆のあと
いとしいあの娘が 忘られぬ
トコズンドコ ズンドコ
作詞者の名が伝わっていませんが、
海軍の兵隊のひとりだったと考えられます。
艦とともに水漬く屍となられたか…
しかし、その歌は生き延びて、
いまも我ら日本人のもとにあります。
日本のフォークソングというのはこのようにして歌い継がれて来ました。
「軍歌」*というのは、戦争中に生まれた日本のフォークソング(民謡)にほかならないと思います。
*より正確に言えば「兵隊節」
そして戦争の時こそ、
良くも悪くも、民族の本質が明らかになるものだと思います。
だからこそ私は、
あえて「軍歌」をもっと日本の若者に聞いてもらいたいと思うのです。
そこには戦争を生き抜いた日本人の心の響きがあります。
しばし耳をすませば、聞こえてくる真実があります!
「軍歌」というと、何か勇壮な曲を思い浮かべるかもしれませんが、
たしかにそういう曲もあるにはあるのですが、
日本の軍歌に関して言えば、「反戦歌」じゃないのかと耳を疑うような「軍歌」が多いです。
そこには戦争に召された庶民の、偽らざる心が現れているのではないでしょうか?
もっとも『海軍小唄』は、公の席で歌われたものではなく、
「小唄」とつく歌はほとんど同期生同士の無礼講の席で歌われたもののようです。
公の席ではもっと軍歌らしい軍歌が演奏されたのでしょう。
『海ゆかば』とか、『太平洋行進曲』とかね。
『アキラのズンドコ節』小林 旭 1960年
作 詞: 西沢 爽 作 曲: 遠藤 実 唄 : 小林旭
最近ではソフトバンクの犬のCMでもおなじみのマイトガイ小林旭ですが、
頭のてっぺんに抜けるような高音域の歌声が特徴です。
『アキラのズンドコ節』はかなり現代的な歌詞になって生まれ変わっています。
わたしよりも前の世代が夢中だった歌ですが、
わたしがリアルタイムで聞いたズンドコ節はこちらです!
『ドリフのズンドコ節』ザ・ドリフターズ 1969年
作詞:なかにし礼 作曲:不詳
加藤茶がよくいかりや長介の悪口で言いますが、
当時のザ・ドリフターズの行動はすべてが「軍隊式」だったそうです。
『海軍小唄』のリバイバル作品である『ドリフのズンドコ節』を初めとして、
『軍隊小唄』のリバイバル作品『ほんとにほんとにご苦労さん』や、
アルバムにはたくさんのドリフ版軍歌が収められています。
そして驚いたのが、
あの氷川きよしが『きよしのズンドコ節』をリリースしたことですね。
『きよしのズンドコ節』 2002年
まだまだ『海軍小唄(ズンドコ節)』は不滅のようです。