私がターシャ・テューダーを知ったのは『ターシャ・テューダーのガーデン』(1997年初版 文藝春秋)という本を書店で手にしたときでした。10年近く前のことです。
そこで見たターシャの庭は、どう見ても当時日本で流行していた「イングリッシュ・ガーデン」にほかならないのでした。
イギリスではなくアメリカに「イングリッシュ・ガーデン」が造られている!その時は、意外性を感じて買って帰りました。
ま、いまの日本を見れば、イングリッシュガーデンの花盛りで、こんな東洋の一画にさえはびこっているわけですから、イギリスからの移民が多かったアメリカにあっても、なんの不思議もないわけですが……
ターシャー・テューダーは、アメリカはニューイングランドの名門出身の、絵本画家・イラストレーター・園芸家です。
昨年の11月、NHKテレビで『ターシャ・テューダー四季の庭』が放送されて、園芸ファンのあいだでもかなり評判になったので、彼女についてはとくべつ解説は必要ないかも知れません。
彼女の庭の写真集や絵本は、日本でもたくさん出版されていますので、本屋さんに行けば一目瞭然でしょう。
なぜ、いまターシャ・テューダーなのか?
ターシャ・テューダーの庭
ターシャの250エーカー(約30万坪)の庭は、バーモント州南部の寒さの厳しい地域にあります。私の庭が約20坪ですから、ざっと15000倍ですか。…想像も付かないない広さです。どうやって手入れしてるんだろう?10年ぐらい前までは友人たちが手を貸したらしいですが、いまは家族の手で管理しているらしいけれど…。
1972年、57歳の時に、自給自足しながら思う存分庭造りをして暮らすためにここに移ってきたのでした。
ターシャの絵本のためのスケッチやイラストが、この庭の中で描かれました。
その生活ぶりは、『ピーター・ラビット』の作者・ビアトリクス・ポターを彷彿とさせます。
彼女と同居しているのは、2匹のコーギー犬と、船乗りから買ったオウムのキャプテン・ペグラーです。
これだけでなんかもう童話の世界に入っちゃう感じですね。
白いクジャクバトや、乳を搾るためのヤギも飼っています。
テラス
彼女のこの広大な庭は、急斜面を造成してつくられました。
そのために傾斜面を何段かのひな壇式にしました。そこはテラスと呼ばれていて、それぞれの段に様々な植物が植えられています。
ターシャが目を付けた職人ジム・ヘリックスによって、たくさんの平たい石を積みあげられ、一つ一つのテラスが作られました。まさに「職人芸」です。
家
住む家は、一番上のテラスに、家具職人の息子セムに建てさせました。1740年に建てられたお気に入りの農家があって、それを見本に寸法を実測して、そっくりのものを手作りしたそうです。完成したばかりの時に、すでに何百年もたっているかのようなおもむきのある家でした。
上から2段目のテラスにはクラブアップルとラッパズイセンがあります。ターシャの庭のシンボル・ツリーで、色彩の取り合わせが素晴らしい。
秘密の花園
鶏小屋の後の人目に付かない場所にあり、丈の高いライラックの木が周りをかこんでいます。
ここにはターシャのお気に入りの花がすべて集めてあります。
大好きなイングリッシュローズも。
スイレン池へ続く野草の小道
アツモリソウなどの野生の植物(山野草)も庭にはたくさん植えられています。
ルピナスの野原
6月には、ここで巨大なかがり火をたきます。ルピナスにはカリウムが必要だからだそうです。ようするに野焼きですね。
妖精の輪
淡いピンクのナデシコの輪のまん中に紫色のカンパニュラが咲いています。
野菜もつくっていて、自給自足の生活をしています。
インゲン豆、ジャガイモ、ニンジン、ビート、カブ、リーキ、キャベツ、ベリー類、ブドウ、プラムなどを作っているようです。
本には出ていないものももっと作っていると思われます。
これはニューイングランドの伝統的なライフスタイルのようです。
それ以外のターシャの庭の見所を、詳しくはとても紹介しきれないので、ざっと紹介しておきます。
ワスレナグサに縁取られた小道。
ツルバラのからまる格子棚。
2m近いキツネノテブクロ(ジギタリス)。豊かな土であることがうかがわれます。
タチアオイは一重咲きのもの、パンジーは薄紫色のものが彼女は好き。
フクシアはお気に入りの花。鉢植えにして育てている。
薔薇のヘリテージも自慢のひとつ。
園芸関係の書物が集められた書斎
冬用の台所の上にある部屋が書斎になっていて、4つの本棚にガーデニングの本が新旧取り混ぜて何百冊もおさめられています。
本が多すぎて整理しきれないけど、スミレに関する本とエマーソンの『米国の樹木と灌木』、お母さんが所蔵していたガートルード・ジーキルの初版本の場所だけははっきりと判っているとのこと。
ターシャ・テューダーのライフスタイル
近代設備―電気や水道など必要最小限のものは除いて、ターシャは古い道具を使うことを好み、生活は質素だということです。
暖炉にロッキング・チェア、キッチンには薪のオーブン、古い大きな柱時計などなど。でも、いま日本で手に入れようとすると、けっこう値の張るものばかりのような気がするけど… これを「質素」と言いきるアメリカ人はすごいです。
ターシャのガーデニングの技術も、彼女の家に代々伝わっているもので、
庭の植物も何十年も前のコテージガーデンによく見られたような植物が多いとのこと。
それでも自然と、カラー・スキームを考えたデザインになっているところは、さすがに画家のセンスというものでしょうか?
そういえば、ガートルード・ジーキルも画家志望でした。
なぜ、いまターシャ・テューダーなのか?
19世紀後半、産業革命真っ只中のイギリスで「アート&クラフツ運動」という芸術・社会運動がありました。
ジョン・ラスキンが主張し、ウィリアム・モリスによって実践された…というのはいつか学校の授業で習った覚えがあります。
「生活のすべてに芸術を!」がスローガンで、産業革命による大量生産が人々のライフスタイルを変え始めた頃、これに反発を覚えたお金持ちたちが、地域の自然や文化を尊重し、手仕事に価値を見いだすようになりました。
都市で暮らす人々が工場の排煙で汚された街を逃れて、郊外の自然の中で生活することにあこがれ初め、自然風の庭造りが人気になったのでした。
ジーキルらはその流れに乗って大成功を収めたとも言えます。
この思潮はその後のヨーロッパの美術史に影響を刻し、アール・ヌーボーからポップ・アートまで、底流として流れ込んでいきます。
私はこの流れが、ターシャの母親を通じて、またニューイングランドという地域の特性の中で、ピューリタンの伝統を通過しつつ、ターシャへと受け継がれてきているのではないかと思っています。
いま日本は、第二次大戦後の異常な繁栄の夢から覚め、「国家の品格」だとか「本当の豊かさ」とかを追い求めるようになってきました。
そんな時に、ターシャのような質素でありながら限りなく豊かさを感じさせる、伝統を大切にしたスローライフな生き方が、注目を集めているのかも知れません。