#isisクソコラグランプリが始まりましたよ!
母の1周忌が過ぎないうちは、喪に服して、
あまり過激な記事は書きたくないな、という気持ちだったんですが…
ISIS=イスラム国という狂人集団が日本人2人を人質に取り、
そのうち一人を虐殺したらしい。
残る1人を救おうと世界中の心ある人々が訴えているようです。
ほんと、いろんな人が訴えていますね。
こんな人まで。
うそこけえ~~
と思われたと思います。
はい。インターネット上の画像なんてどこまで本当でどこまでが嘘なのか、
わかったもんではありません。
画像だけでなく、文章だって然りです。
狂人集団が投稿した動画や画像も、いっぱいカラクリがありそうだと、
すぐにみんな疑い始めましたね。
画像だけで事実を判断するには限界があります。
現場を実際に見ないことにはそこで何が本当に起こっているのかはわからない。
後藤さんのような方が危険な戦場に赴く理由も、そこら辺に有るのでしょう。
しかし「湯川さんを助けに行く」という後藤さんに奢りはなかったでしょうか?
本気で日本国に出来ないことでも自分なら出来ると考えたのでしょうか?
ジャーナリストとしての本分を逸脱した行動としか思えません。
湯川さんに至っては、今我々は湯川さんの残したブログを読むことが出来ますが、
うーん、この人、なんなんだろう? 川島芳子の生まれ変わりだって?
いまごろ、今度は誰に生まれ変わっていることやら、心配になります。
自殺するのに自分のチン○を切らなくてもいいじゃないか!
チン○を切れば、本気で川島芳子に生まれ変われるとでも思ったのか?
#isisクソコラグランプリ~汝の欲することをなせ!
ツイッターで「#isisクソコラグランプリ」というのが、
狂人集団ISISの脅迫動画が現れた時から現在も続いています。
わたしもずっと覗いていました。
この間フランスで起こった新聞社襲撃事件の対応と比べられているようですが、
これはネット空間という彼らの持ち場を守るための戦いだったんだろうな。
荒らしに来るISISに、彼らが唯一持っている「クソコラ」という武器で反撃した。
もしかしたら人質は殺されるかもしれないが、
その時が来てもクソコラし続けてくれよ、と祈るばかりでしたが……
これは始めてしまった以上は後戻りする訳にはいかない種類の選択だからです。
いまも「#isisクソコラグランプリ」は続いています。
意味vs無意味
イスラム原理主義vs快楽原理主義
シリアスvsナンセンス
いろいろな要素を見ることができますが、
日本のネット民たちはテロの衝撃を笑いのエネルギーに変えて、
「積極的お笑い主義」を選択したといえるでしょう。
インターネットにあるすべてのものはクソコラの素材にすぎないという、
徹底した諦念がそこには有ります。
ユーモアというよりはブラック・ユーモア、
よりいっそう正確に言えば無慈悲な「ナンセンス・ギャグ」の世界です。
ユーモアのような字義からして「人間的な」ものとは一線を画しています。
赤塚不二夫というギャグの巨人(虚人?)が存在した、日本ならではの「笑い」だと思います。
手塚治虫ではこの笑いは起こり得ない。
赤塚不二夫が亡くなった時の娘(りえ子)さんの話
肉親をあいついで失った哀しさで、生きる気力を全くなくして、
りえ子さんは、身心ともに衰弱していた。
哀しさから救ってくれたのが、パパの漫画だった。
パパとママの二つの遺骨がならんだ所に供えてあったパパの漫画『鉄腕アトムなのだ!』を手に取った。
手塚漫画のパロディを読み進むうちに、あまりのバカバカしさに声を上げて笑い転げ、
気が付いたら立ち直ってしまった。
「笑いは、どん底から爆笑へとすっ飛ぶ、物凄いエネルギーだ。こんなに哀しくても人は笑うのだ。
笑いは生きるエネルギーなのだ!」とパパが言っているように思えた。
村上信夫 元気のでてくることばたち
欧米からの参加者のコラージュも散見しますが、
明らかに日本のネット民のものとは性質が違うのがわかります。
ISISのメンバーと思われる投稿者のコラージュもあるが、それも同様です。
彼らの作品には相変わらず意味(価値感・物語)があるのです。
それが日本ではもう「古い」のだけど。
日本のネット空間では意味にはもう「意味が無い」(値打ちがない・効果が無い・差が無い)のです。
ISISの主張に自分の主張をぶつけても、
「なにテロリストとおんなじことやってんの?」としか見えない。
クソコラには意味、主張、物語を破壊する力があります。
人質になっている後藤さんの母という人が記者会見を開きましたが、
完全にISISの意表を突くものだったでしょうね。
…というか、同じ日本人の私でさえ「はあ????」という性質のものでした。
しかしISISに「ダメだ、こりゃ」と思わせるだけの効果はあったと思います。
クソコラと同じレベルの「破壊力」を秘めた記者会見だったと思います。
ただクソコラ作者との違いは、彼女は「正しいこと、価値あることを話した」と思っているでしょうが、
クソコラ作者たちは自分の作ったものを「笑えるけれど糞だ!」と思っています。
面白がってこんなものを作ってる自分を、
一歩引いて客観的に見つめる「眼」を彼らは持っていると思います。
糞だけど、俺は奴らを笑い飛ばしてやりたい!
という情熱を感じることが出来ます。
結果なんてどうなるか誰にもわからない。
ただテロリストという自分たちの生活圏を脅かすネガティブな存在が許せないのでしょう。
「テロとの戦い」なんて意味付けも自分ではしていないことも潔い。
今はどんな意味付けもいらない。
ただ徹底的に敵の脅迫意図を破壊するだけでいい。クソコラで。
笑いは生きるエネルギーなのだ!
もし、後藤さんが生きて戻って来たら?
「ごめんなさい」と謝ろうね!
【参考記事】
イスラム国で人質になっている後藤健二の母・石堂順子さんの謎発言の理由があきらかに・・・!?
イスラム国(ISIS)に対するツイッター利用者の攻撃と海外からの評価
ツイッターによるコラ画像をめぐる海外の評価(その2)とISISアカウントの凍結
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