バビロンの空中庭園

「バビロンの空中庭園」は、古代ギリシアの数学者フィロンが選んだ「世界の七不思議」の一つとして有名ですが、「ハンギング・ガーデン」などとも呼ばれているようなので、ハンギングバスケットマスターのミロとしてはずっと気になっていました。

下に掲げる図版は、「空中庭園」が語られるとき必ずと言っていいほど引用される、16世紀のオランダ人の画家、マーティン・ヘームスケルクによる手彩色の版画「Hanging Gardens of Babylon」です。

「バビロンの空中庭園」は紀元前600年頃、新バビロニア国王のネブカドネザル2世が、メディア出身の妻が砂漠への輿入れを嫌がったため、妻を慰める目的で、彼女の祖国の自然環境を模して造られたと言われています。

図を見れば判るように、どこにも庭は「吊り下げられて」はいません。
バビロンの王宮の屋根やテラスの上に、土を盛って樹木や花を植え込んでいます。
中央付近にテラスからはみ出して垂れ下がっている樹木がありますが、実際に見たならかなり迫力のある光景だったでしょう。

図版が描かれた当時、すでに伝説と化していた「空中庭園」ですが、画家は通説に従って描いたと言うことです。

ギリシア語のkremastosまたはラテン語のpensilisの翻訳が不正確だったためにHanging Gardens と誤って伝えられたという説があります。

また「空中庭園」が巨大であったため、遠くから見ると空に浮いているように見えたため、そう呼ばれたともいわれます。
砂漠の幻…蜃気楼といったところでしょうか?

左手奥に雲がかかっているのは、バベルの塔だと思われます。
例のバビル2世の基地だったアレです。

「いいかね、バベルの塔は天までとどくべく計画された。だが、建築学的に言っても、高さは常に基底の広さと函数関係を保っていなければならない。するとどうだ。バビロンの人間が考えていたように天が有限の高さである間はともかく、現代のように天が無限大、いや相対的原理によって天などという概念が意味をなさなくなった場合、その基礎はどうなるだろうね。土台をどこにすえたらいい?」(安部公房「空中楼閣」)

人間の抱く妄執の象徴として『聖書』で描かれるバベルの塔ですが、あたかも「空中庭園」もまた人間の妄執に過ぎないとでも言うかのように、二つは一枚の絵の中に描かれています。

左手下に見える水面は、ユーフラテス河でしょう。
ここから揚水機で水を汲み上げ、「空中庭園」を潤したと言うことです。

一人の妻のために一人の王が幻を実現するべく費やした、時間と空間と技術とその財を思うとき、慄然としながらも何かお伽噺でも読んでいるような気持ちになるのはなぜでしょうか?

現在のイラクあたりでの出来事だったようですが、古代から現代まで血で血を洗うような歴史が繰り返されて来た土地で、それらはみんな砂の中に埋もれてしまって定かではありません。

砂漠の砂の中には、歴史の秘密が眠っています。

「砂漠には、あるいは砂漠的なものには、いつもなにかしら言い知れぬ魅力があるものである。」(安部公房「砂漠の思想」)