ワラビ採りびとの感懐

ひさびさに山の香りを吸ってきました!

ワラビのおひたしが恋しくなったので、
昨年の大地震の被災地の中のワラビ山まで、
大迂回作戦を決行しました。

USアーミーのアルミシートにひろげたのが、
本日1時間ほどの成果です。

しかし、
目的地までの行程では、
落石防止工事や、
寸断された舗装道路の補修痕、
崩れたままの崖など、
昨年の地震の爪痕が残されていました。

「岩手・宮城内陸地震」が起きたのは、
昨年の6月14日でした。
まもなく1年が経とうとしています。

タニウツギ

たくさんの人が被災し、
亡くなった方たちもいました。

それでも季節は巡ってくるし、
ことしもいつもの年のように、
山の花々が咲いていました。

ウグイスやカッコウの鳴き声が谷間から聞こえ、
エゾハルゼミの声が、
木々の間に響き渡っていました。

考えてみれば残酷なようでもあります。
かつて弟を亡くした頃を思い出しました。

自分たちはこんなに深く悲しんでいるのに、
それとは関係なく、
他人も自然も過ぎ移ろって行くのだなと気が付き、
別な世界に生まれ変わったような気持ちでした。

初盆に上げる桔梗ききょうの花を、
向かいの山に取りに行ったあたりから、
野生の花や自然というものにのめり込んでいったようです。
二十歳のころの話です。
……

その頃のわたしは、なぜか、
園芸植物という人工の花が、
顔をそむけるほどキライでした。

東栗駒山の山上の道で見た、
風にふるえて咲いているハクサンチドリの花が、
わたしの心の中の花でした。

ハイマツとササと空しかない風景の中に咲いている、
小さなほのかなピンク色の花の強さに打たれました。

フタリシズカ

でもね、
日本人だけでなく、
人間というものはみんなそうやって生き延びてきたんだよね?

山がくずれたり、
河が氾濫はんらんしたり、
海が押し寄せてきたりするのに遭遇そうぐうしながら、
生き延びた者たちが命のバトンを渡して、
そうしていま私たちがいます。

自然の風景の中には、
そんな秘密が秘められているのを感じます。

ときどき無性むしょうに山に行きたくなるのは、
古代の祖先の人々の魂と、
交感したくなるからなのかも知れないな。