「ゼロ戦」が飛んだ日

ども。ミロです。

前回は、少年マンガ誌の「カラー口絵」文化を紹介しましたが、
今回はいよいよ本城である「戦記マンガ」です。

貝塚ひろし『ゼロ戦レッド』
吉田竜夫『忍者部隊月光』
九里一平『大空のちかい』
ちばてつや『紫電改のタカ』
桑田次郎『軍用犬ムサシ』

有名どころでこれぐらいはすらすらと出て来ますが、
その何倍かの数の「戦争マンガ」が当時はあったと思います。

時代背景がいつなのかよくわからない、(たぶん、現代)
小沢さとるの『サブマリン707』『青の6号』などにも熱中したものです。
「潜水艦」について詳しい情報を提供してくれるほとんど唯一のマンガでした。

その中でもいちばん熱中した戦争マンガは、
なんといっても『0戦はやと』でした。

『0戦はやと』1964年(昭和39年)

作詞は『北の国から』で知られる倉本聡です。
本編の脚本も書いています。

草創期のアニメでは、
のちに大御所になるような詩人たちが主題歌の作詞をしたり、
まだ市民権を得ていなかった頃のSF作家たちが、
アニメの原作をしたりという現象がよく見られます。

国産アニメ第1号の『鉄腕アトム』の作詞にしてからが、
いまでは現代詩人の第一人者である谷川俊太郎ですからねえ。
その面白さがラララ分かっていただけると思います。

「少年キング」に連載していた『0戦はやと』は、
なんと「テレビアニメ化」され、
国産テレビアニメの第5弾として登場することになりました。

「0戦」が飛ぶ姿を、アニメで見られるというだけで、
もうテレビに釘づけにされていましたね。

ちなみに国産テレビアニメの第1弾は「鉄腕アトム」
第2弾は「鉄人28号」
第3弾は「エイトマン」
第4弾は「狼少年ケン」でした。

『0戦はやと』を描いたマンガ家は、
のちに『タイガーマスク』を描いた辻なおきです。

ところで「戦記ブーム」です。
なぜあれほど、熱く長い「戦記ブーム」が大人の世界にも、
子供の世界にも起きたのでしょう?

秘密は、1951年(昭和26年)9月8日という日付にあります。
「サンフランシスコ講和条約」に日本が調印した日です。

それまでの日本はアメリカ軍を中心とした連合国軍の占領下にあり、
マッカーサーの統治下ですべての「日本的なるもの」は間違っていると否定され、
出版や放送、映画など、
文化全般にわたりアメリカ側の検閲を通ったごく一部のものしか、
公表を許されませんでした。

実は日本国民は、
6年間にわたる連合国軍の占領が終わるまで、
「0戦」や「戦艦大和」の存在を知らなかったのです。

吉田満の『戦艦大和の最期』は、
当初、『創元』1946年(昭和21年)12月創刊号に掲載される予定でしたが、
GHQの検閲で全文削除されました。

ようやく発表にこぎつけたのは、
独立回復後の1952年(昭和27年)でした。

同様に、1953年(昭和28年)には、
0戦開発者の著書『零戦 日本海軍小史』(堀越二郎+奥宮正武)と、
第二次世界大戦撃墜王・坂井三郎の自伝『坂井三郎 空戦記録』(のちに『大空のサムライ』と改題)が出版され、
敗戦に意気消沈していた日本国民に熱く迎え入れられます。

こうして、再独立後の日本に、
「戦記ブーム」の嵐が吹き始めるわけです。

軍事機密として戦時中の日本国民には知らされていなかった
「0戦」と「戦艦大和」は、
ようやく日本国民のものとなったのです!

少年マンガ誌の世界では、その後も戦記マンガは続きますが、
テレビ放映の方はそんなにはありませんでした。

1971年の『決断』があるくらいです。

アニメの『0戦はやと』が、
「軍国主義を助長する」というPTAからの抗議をうけ、
途中で放映が打ち切られているように、
アニメンタリー『決断』もまた、
四面を敵に囲まれていました。

それについては以前書いたこちらの記事を参照してください。

丘 灯至夫さん逝く、大好きな歌をありがとう!

それにもかかわらず、
今でも私が一番好きな歌は『決断』のテーマソングです。

『決断』1971年(昭和46年)