新型コロナウイルス戦線異常あり!?──本庶佑博士の「緊急提言」と女優・杏の『教訓Ⅰ』

安倍首相、全国的に緊急事態宣言を発令! 本庶佑博士の「緊急提言」は読んだよね?

安倍晋三首相が、ようやく眠りから覚めたようですね!
局地的に発令していた「緊急事態宣言」を日本全国に拡大し、ひとりあたり一律10万円の現金給付することを発表しました。
ひと月ほど遅すぎたような気もしないではないが。

2018年にノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑ほんじょたすく医学博士(免疫学)が、4月6日、日本政府への提言を発表しました。

本庶佑博士

本庶佑博士の「緊急提言」はこちら!

私も、プリントアウトしてじっくり読んでみました。

さすがは科学者! 「気分」ばっかりの報道の洪水の中で、
ひとすじ「論理」の通った大局的見地からの提言は、納得のいくものでした。

新型コロナウイルスのパンデミック制圧を、博士は「戦争」ととらえ、
日本がこの戦いに勝利するための「戦略」を、緊急提言しています。

よほど、日本政府の戦い方が、見ちゃいられなかったんでしょうね!

安倍晋三君が「緊急事態」を宣言しても、相変わらず大勢の人が満員電車に乗って、毎日通勤してるんですからね。
これじゃ日本社会そのものが、完全に「お笑い」の世界だよね。
ドリフのコントを見てるみたいだ。

 本庶佑博士の『緊急提言』を私流に簡略にまとめてみます。・・・すでに簡略にまとめて、発表されてるんだけどね。笑

1.PCR検査を、毎日1万人以上に増やそうぜ!
  そして、無症状、軽症、重症に振り分ける。
  重傷者は、集中治療室へ。
  軽症者は、ホテルなどの待機施設へ。
  無症状者は、自宅でじっと耐えていただきましょう!

2.東京圏、大阪圏、名古屋圏では、1か月間完全外出禁止にしようぜ
  そうすれば、ウイルスを封じ込めることができる。
  俺たちの勝利だ!
  満員電車に乗ったりしたら、元も子もなくなるぞ。

3.ウイルス感染者は、薬を使って積極的に治療して行こうぜ!
  感染初期の人はアビガンなどで。
  重傷者は、トシリズマブなどで。もちろん、レムデシベルでもいい。

いまわれわれが直面しているのは、困難な「戦争」だ!
敵は、忍者のような目に見えないウイルスであり、この忍者は弱毒をまき散らす。

この毒をもらった人間は、無症状・発熱・咳・味覚異常・呼吸困難など、
人によってさまざまな症状を示し、感染者の1~2%が死亡する。

日本および世界が「戦場」となっている。

この戦争は長期戦になるが、持久戦では勝てない。
先手必勝あるのみ!

それが「PCR検査の拡大」であり、「完全外出禁止」であり、「積極的に薬を使う」ということだ。(博士は「完全外出禁止」とは言ってないが、私が忖度してこう言っておく)

日本中が1か月間、完全外出禁止にすれば、理論的にはウイルスに勝てるはずである。
7割とか8割とか言った甘い話ではなく、
限りなく10割を目指して、1か月間、日本中が苦しい戦いを継続する必要がある。

東京圏、大阪圏、名古屋圏が主戦場であるとしても、
日本中が「最前線」だ!

あとは、討ち漏らしたゲリラウイルスとの掃討戦あるのみ。

「科学」は、命・社会・国家を守る基本に置かねばならない。

もっと基礎研究予算を増やせ!(俺が代わりに言うたった)

女優・杏が『教訓Ⅰ』を歌う動画を配信、でも、なんか変・・・

こちらもワイドショーやらネットで話題になっているようですが、
なんだか意味が解らなかったのが、女優・杏さんの「歌のチョイス」です。

ネットやテレビでは、みんなほめそやしているけれど、
そうやって「祭り捨てる」のが、かれらの習癖だからな。

私はあえて、「異」を称えてみたいと思います。

『教訓Ⅰ』を歌うことで、いったい誰に、何を訴えたかったわけ?  

杏『教訓1』cover


自分のことを守ることが、外に出ざるを得ない人を守ることになる。
利己と利他が循環するように、一人ひとりが今、できることを

「私の好きな歌を歌いまーす!」であれば、別にこれでいいと思うんです。
杏さんが訴えていることも、今の状況の中で、至極まっとうなことだと思います。

私が「少し、変」と感じたのは、「歌の内容と、杏さんの訴えていることが、なんかズレてんじゃね?」と思ったためです。

「歌の内容」と、いま現在、日本で進行している「現実」を照らし合わせてみると、それがはっきりすると思います。

杏さん、感染のリスクにさらされながら、新型コロナウイルスに立ち向かっている医師や看護師さんたちの前で、あなたはこの歌が歌えますか? 

彼らが戦っているのは、けっして「御国のため」なんぞという曖昧模糊としたもののためではなく、
眼の前で苦しんでいる人々のためであり、患者の命を救うという職業上の使命を果たすことが、医療従事者としての「誇り」を守ることでもあるため、リスク承知の上で戦ってくれているのだと思います。

『教訓Ⅰ』は、

青くなって しりごみなさい
逃げなさい かくれなさい

と歌ってますが、それって、いま戦い続けている医療関係者に言うべき言葉でしょうか?

では、「外に出ざるを得ない人」たちに向けて歌ったのだとしたら、どうでしょう?

病院はもちろんのこと、スーパーやコンビニなど、国民の生活上、なくては困る職業の方たちには、引き続きそのまま働いてもらうというのが、政府の方針のようです。

また、そのほかにも、会社が休むことを許さない企業の社員たちも、満員電車に揺られ、外に出ざるを得ない人たちなのでしょうね!

彼らに向かっても、

青くなって しりごみなさい
逃げなさい かくれなさい

と、訴えますか?

医療従事者も、ライフラインを支える人たちも、自分の命の方が大事なんだから、他人に奉仕なんかしてるんじゃねえ!って歌ってるように聞こえるのは、私だけでしょうか?

知り合いにスーパーで働いている人がいますが、彼女は、マスクをしてレジに立ってはいるものの、決して逃げも隠れもしていなかったよ。
まして、命を捨てているわけでもない。
多少、青ざめていたようには感じたけれど。

せめて、彼女たちがウイルスに感染しないように、店を利用する私たちが、注意を払う必要がある。彼女たちを守る義務がある。
他人の命ではあるけれど、大切な命です。

『教訓Ⅰ』が歌っている、「御国のために死ぬ」とか「死んで神様になる」というのは、太平洋戦争で日本人がやった「戦争」への批判だと思われます。

例によって、あまりにも「浅薄な」戦争理解で、恐れ入ってしまいますが、三島由紀夫が「生命以上の価値なくして何の軍隊だ」と言っているように、「軍隊」というものは、自分の生命を賭けて戦うわけなので、自分の生命以上の価値あるものなくしては、成り立たないはずです。

「じぶんのいのち」が世界で一番大事!という人は、戦争をせず、自分の使命とかも考えず、他人の仕事へのリスペクトもなく、『教訓Ⅰ』でも歌っていればいいでしょう。

しかし、どうも世の中、そんな人ばかりではないように思うし、そんな人ばかりでは成り立たないと思うんだけどね。
つまり、「利己と利他が循環」するためには、自分を取り巻く今の状況が、利己を優先するべきか?利他を優先するべきか?そのつど、個人的に選択を繰り返していく必要があると思います。

東日本大震災の時は、(匿名で)御父上の「雨ニモ負ケズ」の朗読を批判した私です。
なんか二人とも、同じような間違い方をしているように見えるんだよね。

「詩」の言葉の一部分だけから、「詩」全体の意味を判断してしまっており、しかも、その判断は間違っていないか?ということです。
すっかり父娘を敵に回してしまったな。笑

おふた方とも、俳優としては大好きなんだけど。

『教訓Ⅰ』が作られた時代

私が加川良のこの曲を聞いたのは、高校生の頃だったかな。
当時は、フォークの全盛時代だったので、ガラにもなく時代に遅れまいと、
必死で聞きました。笑

とにかく「戦争反対」の歌を歌うことがカッコいいという時代だったなあ。
いわゆる「メッセージ・ソング」というやつです。

私はすぐに飽きてしまい、「いい気なもんよのう」と思うようになりました。
そこには「気分」しかなく、やがて彼らが歌う「戦争」は、「ハリボテ」にすぎないことに気が付きました。

なぜか彼らの「論理」では、とにかく戦争に反対しないと、日本はまた戦争を始めるということになっていました。「根拠」もなく、です。

まあ、世の中、60年代~70年代と、学生たちが安保闘争に明け暮れていた時代ですからね。

『教訓Ⅰ』が作られたのは、70年安保の頃のようですが、
この歌の「戦争観」そのものが、だいぶ現実からズレたものになっていますよね?

「御国のため」ではなく、「家族のため」「子供のため」に戦争するのは、どうなんでしょうか?
逃げろというんですか? かくれなければならないんですか?
大事な人が殺されてもですか?

「アジア解放のため」の戦争はどうですか? 結果的に、アジアは解放されましたけど?
それとも、アジア人は戦争なんかしないで、西洋人の奴隷のままでいた方がよかったですか?

私は、「戦争」そのものを知りたいと思うようになって行きました。
寺山修司が言っているように、当時の「戦争」には、いつも「反対」という言葉がくっついていたために、
さっぱり「戦争」そのものが分からなかったからです。

やがて私は、クラウゼヴィッツの古典的名著『戦争論』やモンターギュの『暴力の起源』を読むようになり、「戦争」というものを手探りで探り始めました。

人間は、どうして「戦争」をするのか?

いまは、ロジェ・カイヨワの『戦争論』を読んで、考えています。

それにつけても思うのは、「戦争をしない」というのと「戦争ができない」というのは、言い方は似ているがまるで別物だということです。

わたしは日本国には、「戦争はできるけれども、しない国」になってほしいと思っています。

「戦争」ができるためには、少なくとも「戦略的思考」ができなくてはなりません。

戦略を考えるための前提として、「諜報活動」や「哨戒活動」による、《敵》についての「情報収集」が必要になります。

そうして計画された戦略目標を達成するためには、有効な「戦術」を考える力が求められます。

その「戦術」を実行するために、戦闘序列を決定し、平時から兵員を訓練しておく必要があるし、武器・弾薬を準備し、食料や燃料などの「兵站へいたん」を確保しなければなりません。

それらができて、はじめて「戦争」ができるわけです。

そういう有事に向けた基本ができていれば、今回の新型コロナウイルスとの戦いでも、考え方・戦い方は、応用できるはずです。

でも、現在の日本では、日本を「戦争のできる国」にするなと、一部の市民やマスコミが主張し、圧力をかけ続けて来た歴史があります。

国を挙げて、それらの基本的な事柄をなおざりにしてきた結果、今回の新型コロナ・パンデミックでは、非常時に臨んでも、優柔不断、戦略的迷走、有効な戦術の不在と、日本という国家の弱点がさらけ出されてしまった気がします。

それでも戦いに臨んでは、最後まで「勝利」を目指すことが重要です。

日本人の「知」と団結力で、日本人の兵だけはいまでも優秀であることを、世界に証明してみせようではありませんか!

最後に、私はYouTubeで歌う度胸がないので、
私だったら、こんな状況の時にはこんな歌を歌って来たなという「歌」を紹介することで、今回はしめたいと思います。

1964年東京オリンピックの年、テレビではこんな漫画映画(当時はアニメなんて言葉はまだなかった)をやっていました。

日本人の多くは、まだ貧しかったけれど、戦争による荒廃から立ち直り、高度経済成長の時代の真っただ中で、我々「ガキ」どもは育ちました。

当時のテレビの主題歌というのは、そんな僕たちを励ましてくれる応援歌だったのだと思います。

今回の新型コロナパンデミックは、世界中の人々が、「同時に」経験しました。この経験が社会や文化、経済などに与える影響は、大きいと思います。

新型コロナパンデミックがおさまった後の世界は、きっといままでとは違った世界が来るような気がします。いままでよりも、より良くなるのか、より悪くなるのかは、わかりませんが。

私は、そんな世界を、そして日本を、この眼で見とどけたいと思う。

それまで、みんな、生き延びようぜ!

『少年忍者 風のフジ丸』 昭和39年(1964年)