東北大震災 第二夜

ども。ミロです。
前回のつづきです。

大きな余震が続いて不安な夜を過ごしましたが、
六時頃には夜が明けて、朝が来ました。

私は酒の力でけっこうぐっすり眠れましたが、
母はほとんど一睡もできなかったということでした。

ことしで八十歳になるので、眠れないと身体にさわるだろうと思い、
震災2晩目はこたつのそばに毛布と布団を持ってきて、
十分身体が伸ばせるスペースをとった寝床を作ってやりました。

これは効果があったみたいで、2晩目はぐっすり眠れたようでした。


こんな大災害時にも、朝になるとちゃんと新聞が届いていて、
新聞社ってすげえなあ! と感心しました。

『河北新報』 3月12日第1面

新聞を見て、はじめて仙台市内でも倒壊したビルがあることを知りました。

やはり仙台方面でも浜の方が大津波に襲われて、
閖上ゆりあげ、荒浜といった町が壊滅していました。

名取川の河口にある荒浜には、300体ほどの遺体が流れ着いているという報道もありました。
相当、無惨な状況になっていることが分かりました。

この時点では、まだ具体的な死傷者数が発表されておらず、
この大地震でどれほどの被害があったのかつかみようがありませんでしたが、
じょじょに加速度的に被害の甚大さが伝えられ始めました。

海辺の町の壊滅報道が繰り返されるのをみて、
宮城県だけでも死者の数は一万人を超える見込みという県の発表も、
そうだろうなと納得するしかありませんでした。

震災2日目は土曜日だったので、
いつものように地元のスーパーのチラシが新聞に折り込まれていたので、
やっているかどうか見に行きました。

土曜日は卵の特売デーなので、この日に購入することに決めていたんです。

電気が来てないので、店内は真っ暗でしたが、
それでもしっかり営業していました。

レジが使えないため、電卓で会計をしているので、
いつもの倍も時間がかかっていて、行列が出来ていました。

お目当ての卵はちゃんと入荷していたので、
特売値段ではありませんでしたが、2パック確保できました。

牛乳も2本、買っておきました。

この日まではまだ、店内に商品が普通に並んでいたし、
だれもあせって買いだめしたりはしませんでした。


午後はいったんパートで働いているスーパーセンターに顔を出し、
店内が通路がふさがるほど商品がブチまかれていることを確認し、
当分「自宅待機」を申し渡されて帰って来ました。

ガソリンも土曜の特売デーに入れようと思っていたため、
心細くなっていましたが、ガソリンスタンドはどこも営業していませんでした。

舗装道路はところどころくぼんだり、ひび割れたり、
橋があるところでは継ぎ目に段差が出来たりしていました。

大きく傾いているコンクリート製の電信柱も見ました。

家屋の倒壊こそ見ませんでしたが、
ブロック塀が崩れ落ちている光景は何箇所かで見ました。


ご近所の方から、井戸水があるから洗い物に使いませんか?といわれ、
いただいて来ました。

少し濁っていましたが、
たしか濾過してきれいな水を得る方法があったよなあと、
サバイバル・マニアのミロは思いつきました。

棕櫚しゅろ縄と炭はある!
あと必要なものは何だっけ?

濾過ろか装置の作り方が『アウトドア学教程』という本に書いてあったはずだと思い、
探したけれど、こんな時に限って出て来ません!

そのうちに夕方になり、区長さんがA4ピラの臨時広報を持って来てくれ、
給水車が来ていることを知りました。

すぐに水缶をもって清水をもらいに行きました。

これでとりあえず炊飯もできるし、
わが家の当面のライフラインは確保できました。