ども。ミロです。
昨日11日は東日本大震災からちょうど1カ月目でした。
ミロの店でも、大地震が起きた14時46分に、
お客さんとともに全従業員が犠牲者に黙祷を捧げました。
ようやく正常化に近づいて来た4月7日に震度6強の最大余震が起きて、
市内ではせっかく一度は片づけたり補修し終わった家屋がふたたび被害を受け、
道路はあちこちがひび割れ、たわみ、
振り出しに戻った感じがしました。
しょうじき徒労感に襲われた一瞬がありました。
溜まった疲れが出てくる時期ということもあるのかな?
電気は復旧しましたが、水道はいまだに断水したまま。
店では、ガソリン携行缶、水缶、単一乾電池、単二乾電池、
転倒防止グッズ、合板類などが品切れしています。
東北新幹線は架線を支える電化柱が、3月11日の本震によって傾いていたのですが、
ようやく直った!と思った翌日の4月7日に最大余震が起き、
再び前回以上の数の電化柱が傾いているのを見ました。
ここも一からやり直しだ。
それにしてもヤバイのは福島です。
ちょうど本震から1か月目に震度6の余震に襲われ、
きょうもまた強い地震が連続しています。
地元の人は、さぞ心細い思いをしてることだろうな。
そして福島第一原発がある!
ほとんどゴジラ化して来ているね。
フランスやアメリカの原子力専門チームが共同で対応しているはずだけど、
活動の詳細がほとんど伝えられて来ない!
どうなってるんだ?
日本国は完全に情報封鎖する気でしょうか。
ということは、国民に言えない様な事態に陥っているということか?
…国民にそういう想像をさせてしまうこと自体、
日本国政府は非常時のかじ取りに失敗してしまっているということじゃないの?
村井 嘉浩宮城県知事は少なくとも信頼できる行動力を示してくれている.。
防衛大学校出身で、元航空自衛隊のヘリパイロットだっただけあって、
さすがに非常時における基本的な軍事的対処方法を知っていてくれていることだろう。
一県民として何より心強い!
それならばしかし、もうすこし国に対して、
自衛隊の運用方法を注文できたのではないだろうか?
菅総理は軍事的ど素人で、自衛隊の使い方もろくに知らない。
いや、国家を預かる政治家としてまともなら、
たとえ軍事的ど素人でも知っていてもらわなければ困る!
日本国の総理大臣が、非常時に自衛隊を使いこなせないというのは致命的だろう?
南三陸町や女川町の情報が寸断された時点で、
衛星回線が避難所に準備してなかっただけで情報収集をあきらめてしまっていいものだろうか?
震災現場に自衛隊の部隊を派遣し、
中央にすべての情報が集まるように情報網を構築することを考えなくて良かったのか?
これが戦争だったらどうするのか?
通信網もなく自衛隊は本当に敵と戦えるのか?
「情報の軽視」は、日本国の病として太平洋戦争時から今の今に至るまで健在だ。
本気で太平洋戦争を学び、本当の意味の戦争の反省をして来なかった結果がこれでしょう。
バカでも出来る「戦争反対!」というだけで、
戦争を反省したような気になって来たわけだからね。
私が考える真の戦争の反省とは、戦争の個々の作戦まで視野に入れ、何が失敗の原因だったのか?
勝つためには何をするべきだったのか?あるいはどうすれば勝てたのか?
何が出来なかったために勝てなかったのか?
そこまで考えることを意味する。
軍事、外交、国内政治のすべての側面で。
もちろん国民の幸福が常に考えられていることが前提だ。
そこまで考えて初めて、それ以降の日本の歴史に戦争の歴史を活かしていけることでしょう。
それができていれば、決して今の様な日本国にはなっていなかったと思います。
大事な局面になると言葉の言い換えだけで済まし、
その実何ひとつ変えて来なかった日本。
その集大成として、今回の東日本大震災への政府の対応を私は受け止めています。
4月29日は、村井宮城県知事が提起した「震災復興キックオフデー」です。
ゴールデンウィークの初日だということですが、
それよりもこの日は「昭和の日」であり、
なにより昭和天皇のご誕生日だった日ではありませんか!
国内のほとんどの主要都市が爆撃され、焼け野原となったところから、
国民とともに敗北を抱きしめて立ち上がり、
世界史に残る奇蹟の大復興を成し遂げた昭和を体現する天皇の誕生日です。
そして、3月11日から数えて49日目であり、
仏教では震災で亡くなられた方が成仏するとされる日でもあります。
震災犠牲者の鎮魂とともに、復興への県民の決意をひとつにするのに、
とてもふさわしい日だと思います。
わたしのブログも4月29日をめざして、
一言入魂で書いていこうと思います!
…更新がいったりかったり(不定期)なのが玉にキズだけどね。ハハハ…