モハメド・アリVSアントニオ猪木、格闘技世界一決定戦(1976年)

もう四十年前になるのか!
テレビの前に張り付いて、ゴングはまだか! と、待ちかねたあの瞬間が自分の中で蘇りました!

「世紀の凡戦」などと書き立てた新聞などもあったように記憶しているが、
私は「これこそ真剣勝負なんだ!」と震えが止まりませんでした。

モハメド・アリの追悼番組として、テレビで四十年ぶりにアリ・猪木戦をノーカットで見ました。

あらためて計算してみると、私が十九歳の時になる。
まだ学生だった頃のことだ。

ゴングが鳴るや、猪木が倒れざま鋭いローキックを放ち、
そのまま起き上がらずリングに背を付けたまま、アリに「足」で対峙する!
その瞬間、
「おお! これは姿三四郎ではないか!」と私は思った。
かつてテレビで見た『姿三四郎』のボクサーとの死闘を、私はあざやかに想起していた。

モハメド・アリ緊急追悼番組 蘇る伝説の死闘 猪木VSアリ

     (元動画削除のため、編集済み)

竹脇無我主演のTV版『姿三四郎』から、
スパアラ(明治時代のボクシングの呼び名)のウィリアム・リスター対姿三四郎の名場面を紹介しておきます。


『姿三四郎』

リスター役の俳優さん、どう見てもミス・キャストですね。
原作では三四郎がちっちゃく見えるような大男なんですが、
三四郎よりちっちゃい。(笑)
それにヒョウ柄の身に着けているものは、ありゃいったいなんだ?
だっせー(笑) 日本人にしか見えないし…

これだけでは三四郎がボクサーとどういう戦い方をしたのか分からないので、
原作から引用しておきます。

 コーナーにさがったリスターは、競技場リングにめぐらした綱を握って、靴に滑り止めの粉をつけ、軽く体を前に揺った。
 ウェブスターが三四郎を
コーナーにさがらせようとしたが、彼は首を振り、両手を下げたまま中央に立っていた。静かな顔であった。三四郎はコーナーに退く不利を考えた。試合開始と一緒に猛進して来るリスターの拳を受け止めることは不可能である。その一撃は勝負を決する。コーナーにいることを三四郎は極力避けた。
 そのまま鐘が鳴った。
 リスターが飛び出した。
 その一瞬に、三四郎は競技場の上に腰を落としたが、足をリスターに向けて仰向けに倒れた。
 
っては防禦ぼうぎょの手段がなかった。
 拳闘と柔道の性質を考えれば、試合の不可能は当然である。それを
あえてする以上、彼の方法はこの一つしかなかった。


三四郎も猪木も、状況に違いはありません!
猪木のあの突き出たアゴにアリのパンチが炸裂したら、
その瞬間に勝負は決してしまいます。
それだけは絶対に避けなければなりません!

そこから必然的に導き出されたのが、猪木のあの「姿三四郎」式防禦姿勢でした。

アリも、最初は猪木のローキックの「意味」を測りかねたことでしょう。
「なんだ、こんなもん!」ぐらいの気持で最初はいたと思います。
しかし、ラウンドを重ねるにしたがって、
猪木のローキックの恐るべき「意味」にアリは気付いたはずです!

即効的な効果はないかもしれない。
しかし、何度も繰り返すことによって、猪木のローキックは、
一撃ごとに確実にアリの戦闘能力を奪っていきました。

‥‥『姿三四郎』に戻ります。
三四郎の防御姿勢にリスターは一瞬とまどいます。

 リスターの出足は相手の意外の出方に鈍った。
「反則だ」
 彼は叫んで、競技場の下に退いたウェブスターを見た。ウェブスターは首を振った。
 三四郎の足の前に、リスターは途方に暮れて呆然と立った。攻撃の方法が一瞬、彼の頭に浮かばなかった。それから彼は、猛烈な速さで三四郎の頭の方へ廻ろうとした。その顔に、腹に、一撃をくれたい。
 だが、三四郎の足は常に彼の眼の前にあった。いかに速力を早め、どんなに隙を見て胸元へ飛び込もうと廻っても、三四郎の足は彼の眼の前にあった。


リスターは、なんとか彼の一撃を三四郎に食わせたいと焦り始めます。
このリスターの焦燥を、アリもまた猪木の足を前にして、共有していたのではないでしょうか?


 リスターは確実に機会を掴んだと思い、歓喜に慄えて突っ込んだ。その拳が顎に入ったと思った時、リスターの拳は三四郎の両手に支えられ、そのまま引き込まれると、左手の打撃を繰り出す間もなしに、三四郎の片足はリスターの腹に掛かっていた。
 三四郎の巴投げであった。
 リスターは綱と綱の間に首を突っ込んだまま、しばらく動かなかった。彼は綱から首を抜き、そのまま綱に
すがって、片手を競技場の床に突いた。激しい眩暈めまいが襲ったのである。
 職業的な一呼吸であった。一息入れて、反撃に出る前に、ねばり強く四つん這いになって、三四郎に向かって起き上がった。そのリスターの
手許てもとに、三四郎が風のように飛びついた。右手で相手の左の拳を抑え、左手でリスターの腕をかかえ込む。起き上がろうとする相手の動作とぴったり呼吸を合わせて、身をすくめて胸元へ入ると、左足をリスターのくるぶしに掛け、目一杯に担いだ。
 一本背負い崩れの壮絶な山嵐である。
 
うなる勢いであった。
 リスターの体は一回転しつつ岩に似て競技場を飛び、張りめぐらした綱の外に片足を突っ込んだまま、鈍重な音をたてて仰向けに横たわった。


こうして、必殺の「山嵐」によって三四郎は勝負を決めます。
「山嵐」という三四郎の必殺技、小説上の創作なのではないかと思うかもしれませんが、
これは西郷四郎が編み出した実在の柔道の技なんです!

もっとも、現在では使える者もなく、実戦の場で見ることはできなくなっています。
それというのも、西郷四郎が自らの身体の小ささを最大限に活かすことによって可能とした大技だったため、
こんにち欧米の大柄な選手の体格に合わせて戦うようになった日本の選手には、
もはや使えない技になっているわけです。

柔よく剛を制す

この柔道の精神を体現した技である「山嵐」を、
その精神とともに想い起こしてみるのも、現代に必要なことかもしれません。

精力善用 自他共栄

こんな柔道草創期に嘉納治五郎が掲げたスローガンを、
『重版出来』というマンガが原作のテレビドラマでも語られる時代です。
いまいちど、正面から向き合ってみることも、意味があるんじゃないかと思っている次第です。

アリ・猪木戦に勝負は付きませんでしたが、
どうしてもつけようというのなら、やはり、リスター・三四郎戦のようなルールにするしかなかったでしょう!
つまり、

「柔道は柔道の法則に従いましょう」
「よろしい、よろしい。スパアラはスパアラの法則で…大変、結構です。一回の試合は三分間としますか」
「いや、何時間でも続けましょう」
「しかし、試合の終了はなんで決定しますか」
「一方の死です」
米国人の表情が一瞬に硬直した。彼は椅子を軋(きし)ませて体をゆすった。
「死‥‥‥」
三四郎はにやりと笑った。

これはリスター側のマネージャー・ウェブスターと三四郎が、対戦ルールについて話し合う場面です。

つまり、ひとことで言うなら、時間は無制限、勝負はどちらかが絶息するまで!
武道の果たし合いのルールはこれしかない。

少なくとも「時間無制限」にしたならば、それだけで勝ったのはアントニオ猪木だったろう。
姿三四郎式の防御姿勢に、山嵐に匹敵する猪木のローキック攻撃によって、
モハメド・アリは確実にリングに沈んだはずだ。

‥‥しかし、アリ陣営がやっていたが、アメリカ人は自分に有利なように「ルール」をいじろうとする。
これはオリンピックなどの国際競技においても同じだ。
こういう戦いは、日本人は歴史的にやったことがない。
日本人の価値観では「卑怯」に見えるからだ!

『姿三四郎』については、だいぶ前にも一度取り上げたことがあります。
2011年 ニッポンの底力に期待するぜ!(後半部分)
このときは駆け足でふれただけなので、もっと『姿三四郎』の魅力について語り尽くすために、
新しいブログの立ち上げを準備しているところです。

『姿三四郎』という作品の持つ大きな魅力の一つは、その物語が「柔道創世記」にもなっているということです。
前回の東京オリンピック以来、世界中で行われる国際的なスポーツと成った日本の柔道ですが、
その草創期には地面にムシロを敷いただけの道場から始まっていることなど、
興味深い話の連続です!

今年中にはなんとか始めようという気の長い話なので、
現在は必要な書物やDVD等を買い集めながら読み込んでいるところです。
こっそりやらないとオークションとかで競り合う事にもなり、
予算が膨れ上がる恐れがありますのでね。(笑)

映画版『姿三四郎』、テレビ版『姿三四郎』、漫画版『姿三四郎』、アニメ版『姿三四郎』、
さらに富田常雄の他の小説に登場する姿三四郎と、
はば広いひろがりに眼を配る必要があるので、一筋縄では行きません。

いまここで公表したということは、必要な資料はほぼ揃ったということでもありますが。

‥‥たとえば、今回指摘した姿三四郎対ウィリアム・リスター戦などは、
姿三四郎のモデルとされる西郷四郎の経歴にはないことです。
これは原作者・富田常雄の父である講道館四天王の一人・富田常次郎が、ボクシングと死闘を繰り広げた経験が、
姿三四郎のエピソードとして創作されているものです。

背中をリングにつけたまま、ボクサーと向き合うという戦法は、
実は原作者の父・富田常次郎が考案したものだったということです。
そして巴投げ、一本背負いをお見舞いして、ボクサーを仕留めています。

‥‥といったよしなしごとを、ひたすら語るブログにしようと思っています。
興味のある方は、期待せずにお待ちくださいませ。(笑)