古関裕而の音楽

古関裕而の音楽

【第8回】古関裕而作曲『オリンピック・マーチ』が東京から世界に響いた日!【完結】

昭和30年(1955年)~昭和39年(1964年)の発表作品昭和30年(1955年)は「神武じんむ景気けいき」が始まった年であり、日本が高度経済成長へ向かい始める時代であった。皇室の三種さんしゅの神器じんぎにちなんで、冷蔵庫・洗濯機・白黒テ...
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【第7回】占領下日本に『長崎の鐘』鳴り響く! 古関裕而のレクイエム

敗戦そして占領の日々(昭和20年)マッカーサーの時代、始まるGHQ、東京占領昭和20年8月30日、厚木飛行場に到着した「バターン号」からマッカーサー元帥が日本の地に降り立った。この日から軍事占領が始まり、日本の新しい支配者となるのである。レ...
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【第6回】いざ来いニミッツ、マッカーサー!『比島決戦の歌』で大騒動

昭和19年(1944年)の発表曲古関裕而がこの年に発表した曲数は、17曲。大東亜戦争開戦以来、レコード発表曲数は年々減少傾向にあった。レコード盤原料の「物資欠乏」が一番の大きな理由であっただろう。さらに、歌手も、作詞家も、作曲家も、楽団員も...
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【第5回】大東亜戦争、開戦! 決戦時下の青春『若鷲の歌』誕生!

大戦争の予感、高まる! (昭和16年・1941年)昭和16年(1941年)の発表曲昭和16年は、12月に大東亜戦争(太平洋戦争)が始まった年である。この年の古関裕而の発表曲数は、全34曲。「ニュース歌謡」として作曲した曲でレコード化されなか...
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【第4回】古関裕而の快心作『暁に祈る』誕生!

『愛国の花』─戦時歌謡に咲いた一輪の花(昭和13年・1938年)昭和9年8月より、内務省警保局によって《レコード検閲》が始まった。昭和12年7月7日に盧溝橋事件が起こると、《国民精神総動員運動》が呼びかけられ、「八紘一宇」「挙国一致」「堅忍...
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【第3回】古関裕而、『露営の歌』を発表、「軍歌の覇王」となる!

大阪タイガース応援歌『六甲颪』誕生!(昭和11年)昭和11年(1936年)、この年の作曲数は、全75曲。古関への作曲依頼は、うなぎのぼりに増加していた。この年のことで特筆しておきたいのは、2月に、古関が『大阪タイガースの歌』の作曲をしたこと...
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【第2回】古関裕而、最初の大ヒット!『船頭可愛いや』が出るまで

コロムビア専属作曲家・古関裕而誕生! しかし、ヒット曲が出ない・・・昭和5年9月、古関裕而こせき ゆうじは妻金子きんことともに上京した。金子の姉富子が阿佐ヶ谷に住んでいたので、当面、姉の家に間借りすることにした。10月、コロムビアに行くと、...
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【第1回】古関裕而『福島行進曲』を作曲し、内山金子と結婚、上京する!

「古関裕而の音楽」を始めるにあたって古関裕而こせき ゆうじは、《戦時歌謡》において、『露営の歌』『暁に祈る』『若鷲の歌』など数々の傑作を生みだし、当時の日本国民のだれもが歌ったことのある歌を作りました。また、戦後は、『とんがり帽子』(ラジオ...