「平和ボケ」と「戦争ボケ」

「平和ボケ」という言葉が氾濫するようになって久しいが、
これはいつ頃、誰が最初に使ったものだろう?

たしかに、石原慎太郎が言うように、
じっさいにミサイルの数発が都市住民の上に降り注がないと目が覚めないほど、
われわれの「平和ボケ」は重症なのかもしれないとも思う。
それだけ長く平和が続いたということでもある。

どっちみち、また戦争がはじまることがあっても、
今度はこちらから先制攻撃することはまずないだろうから、
何十人か何百人かの日本人が殺されてから、ゆっくりと戦争の決断をすることになるのだろう。

その最初に殺される中に、自分が含まれていないことを祈るばかりである。

なんでこんなことを書くに至ったかというと、
昨日の新聞で、「一億総懺悔」の記事を読んだのが始まりだ。

1945.8.28
東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)首相は28日、内閣記者団と就任後初の記者会見を開き、今回の敗戦は政府や軍の問題だけでなく「国民道徳の低下ということも敗因の一つと考える」と語り、一億総懺悔(ざんげ)を呼び掛けた。敗戦の責任は国民全体で負うべきだとの見解で、発言の詳細は以下。
「ことここに至ったのはもちろん政府がよくなかったからでもあるが、また国民の道義のすたれたのもこの原因の一つである。この際、私は、軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならないと思う。全国民総懺悔をすることがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信じる」(『河北新報』2015年8月28日)


8月15日の終戦の詔勅から13日後の日本国の首相の発言である。
どうひいき目に見ても、「政府や軍」の責任よりも「国民道徳の低下」に敗戦の責任があるといわんばかりである。
この宮様が、どの程度国民を知っていて、なにをもって「国民道徳の低下」と断じているのか、いまの私にはわからない。
ただわかるのは、この程度の政府に引きずられて、国民の多くがあたら生命を捨てさせられてきたということだ。


国民の道徳が低下していなかったら、B29が日本全国の都市に飛来して、たらふく爆弾を投下することはなかったのか?
国民の道徳が低下していなかったら、広島・長崎に原爆が投下されることはなかったのか?

…このような発言をもし当時の国民が許したのだとしたら、それこそが最大の「国民の道徳の低下」というものだろう。

六月といえば、大阪に二回目の大空襲があった月で、もうその頃は日本の必勝を信ずるのは、一部の低脳者だけであった。政府や新聞はしきりに必勝論を唱えていたが、それはまるで低脳か嘘つきの代表者が喋っているとしか思えなかった。
 国民の大半は戦争に飽くというより、戦争を嫌悪していた。六月、七月、八月――まことに今想い出してもぞっとする地獄の三月であった。私たちは、ひたすら外交手段による戦争終結を渇望していたのだ。しかし、その時期はいつだろうか。(織田作之助「終戦前後」)

もちろんオダサクの願いむなしく、戦争が外交によって終わることはなかった。
トルーマンが原爆を落とすまでは戦争を終わらせてたまるかと、日本との交渉を拒否していたからである。

8月15日、オダサクのところへ隣組の義勇隊長が来て訓練があるので出席するように言われるが、
オダサクはことわって「非国民」とののしられている。

「僕は欠席します。整列や敬礼の訓練をしたり、愚にもつかぬ講演を聞いたりするために、あと数日数時間しかもたぬかも知れない貴重な余命を費したくないですからね、整列や敬礼が上手になっても、原子爆弾は防げないし、それに講演を聴くと、一種の講演呆けを惹き起しますからね、呆けたまま死ぬのはいやです」

この日の昼に、玉音放送があって、
「畏れ多い話だが、玉音は録音の技術がわるくて、拝聴するのが困難であった」が、戦争が終わったことを知った。

標語の好きな政府は、二三日すると「一億総懺悔」という標語を、発表した。たしかに国民の誰もが、懺悔すべきにはちがいない。しかし、国民に懺悔を強いる前に、まず軍部、重臣、官僚、財閥、教育者が懺悔すべきであろうと思った。「一億総懺悔」という言葉は、何か国民を強制する言葉のように聞こえた。
 私は終戦後、新聞の論調の変化を、まるでレヴューを見る如く、面白いと思ったが、しかし、国賊という言葉はさすがの新聞も使わなかった。が、私は「国賊にして国辱」なる多くの人人が「一億総懺悔」という標語のかげにかくれて、やに下っている光景を想像して、不愉快になった。
(中略)
だが、私たちはもはや欺されないであろう。私たちの頭が戦争呆けをしていない限り、もはや節操なき人人の似而自由主義には欺されないであろう。(同前)

オダサクのように「戦争呆け」してない国民もいれば、あいかわらず「戦争ボケ」している国民もいたということらしい。
戦争も日支事変からずっと続いていたから、「戦争ボケ」するのも無理からぬことかもしれない。
「一億総懺悔」という言葉も、「戦争ボケ」した政府とその宣伝機関たる「戦争ボケ」した新聞によって広められた、というのが真相らしい。

はたして、本気で「総懺悔」した国民がどれほど居たことやら…。怪しいものだと私は思う。

「戦争ボケ」が終わると、こんどは「占領ボケ」が始まって、そのあとはずっと「平和ボケ」というわけか。
日本人って、ボケてばかりいる民族なのかいな? まことに忙しいことだ。

この「ボケ」のよって来る所以は、
畢竟、「個人主義」と「集団主義」のあいだを揺れつずける日本精神にあるだろう。
どっちについていいやら決断が付けられず、
けっきょく「ボケ」るしかないのが、一般的な日本人なのかもしれない。
もちろん、その傾向はいまも続いている。

これは明治維新以来、西洋文明を「外部から」取り入れたことによる、日本人の宿痾だ。
社会のシステムすべてが「集団主義」や「封建主義」でできているのに、
精神だけ「個人主義」を輸入しても、生きにくいことこの上ないに決まっている。
夏目漱石のごとく文明開化した人ほど、この矛盾には苦しんできた。
つまり、「ボケ」ることが出来なかった人たちだ。

まだまだボケたくないなあ、と思う。


《参考文献》
織田作之助「終戦前後」(青空文庫)
第43代東久邇内閣「一億総懺悔」演説 全文 1945年9月5日