作曲家の船村徹さんが、昨日亡くなりました。84歳。
弟子の北島三郎や鳥羽一郎、船村さんの曲をたくさん頂いて歌っている舟木一夫など、
いろいろな方の言葉が紹介されていますが、
すでに亡くなってしまっているためか、
島倉千代子『東京だよおっ母さん』について触れられている記事を見ないので、
あらためてここで語っておきたいと思います。
島倉千代子 『東京だよおっ母さん』 昭和32年(1957年)
『東京だよおっ母さん』
作詞/野村俊夫 作曲/船村徹 歌/島倉千代子
1.久しぶりに 手を引いて
親子で歩ける うれしさに
小さい頃が 浮かんできますよ
おっ母さん
ここが ここが二重橋
記念の写真を撮りましょうね
2.やさしかった兄さんが
田舎の話を聞きたいと
桜の下で さぞかし待つだろ
おっ母さん
あれが あれが九段坂
逢ったら泣くでしょ 兄さんも
3.さあさ着いた 着きました
達者で永生き するように
お参りしましょうよ 観音様です
おっ母さん
ここが ここが浅草よ
お祭りみたいに 賑やかね
田舎に残して来たおっ母さんを娘が東京に呼んで、
戦死した兄へのお参りがてら、二重橋(皇居)、九段坂(靖国神社)、浅草と、
東京見物して歩く姿を歌ったものです。
何の番組だったか、はっきり覚えてはいないのですが、
船村さん自らが語っていたあるテレビ番組を見ました。
もう何年前になるのか、かなり昔のことです。
船村さんのお母さんは、船村さんが作曲家として活躍するようになっても、
作った曲をいちども褒めてくれたことがなかったそうですが、
ただいちど、島倉千代子『東京だよおっ母さん』を聞いたときだけは、
いい歌を作ったと初めて褒めてくれたそうです。
この番組を見たのは、進歩派や左翼言論が力を得ていた時代で、
戦争や靖国神社に関係したものは一緒くたに否定するという、愚かな時代風潮の頃でした。
この『東京だよおっ母さん』に歌われている靖国神社への思いこそ、
当時の日本国民一般が抱いていた靖国神社への思いだったと言われています。
この歌の「御本家」と思われる『九段の母』という先行する歌があります。
>こういう「本歌取り」は、古今集の昔から連綿として続いている、
日本文化の本質的な伝統です。
<strong>二葉百合子『九段の母』</strong>昭和14年(1939年)
作詞/石松秋二 作曲/能代八郎
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