「吉原エレジー」と「お座敷小唄」の謎

『浮浪児の栄光』の「資料編」その5。今回は「吉原エレジー」についてです。

「思い起こせば三歳みとせ前、村がキキンのそのときに、娘売ろうかヤサ売ろか、親族会議がひらかれて、親族会議のその結果、娘売れとのごしょぞんに、売られたこの身は三十両。口に紅つけお白粉しろいつけて、泣く泣くおカゴ乗せられて、着いたところは吉原の、その名も高き揚屋町あげやまち」(台詞)

ところも知らぬ名も知らぬ
いやなお客もいとわずに
夜ごと夜ごとのあだまくら
これもぜひない親のため
静かにふけゆく吉原の
今宵も小窓によりそうて
月を眺めて目に涙
あける年期を待つばかり

これが『吉原エレジー』で、「あとがき」の冒頭に出て来ることは、前回の「『浮浪児の栄光』の「栄光」を考える」でもふれましたが、むろん、わたしの聞いたこともない歌でした。

『日本春歌考』(1967)という大島渚監督の映画で、『吉原エレジー』が歌われていることを知って見てみました。
伊丹十三いたみ じゅうぞう(この頃は伊丹一三)が、ちゃんとセリフ入りで歌っていました。

おお! この節は『お座敷小唄』ではないか!
『吉原エレジー』は『お座敷小唄』の替歌なのか?

「お座敷小唄」 松尾和子 和田弘とマヒナスターズ 昭和39年(1964)

作詞・作曲者不詳
カバー版

『日本春歌考』という映画は、ひとことでは伝えにくい内容の作品です。
「春歌(猥歌)」のオンパレードで、なかなかわたし好みの作品ではありましたが。(笑)
『吉原エレジー』も歌の分類をするならば、「春歌」の部類にはいるのですね。

『日本春歌考』SING A SONG OF SEX(創造社、1967年)

大島渚/監督

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『お座敷小唄』は、Wikiによると、

作詞・作曲:不詳、採譜:和田弘(後に作詞:不詳、作曲:陸奥明とされる)

とあります。
最初は「作詞・作曲者不詳」だったんだ。これを歌った「和田弘とマヒナスターズ」の和田弘が「採譜」したものだという。

「採譜」というのは、巷で歌われている歌を、耳で聞いた音階だけをたよりに、譜面に書き起こすことを言います。これが「曲」ではなく「詞」の場合だと、「採詞」になります。

1964年、和田弘とマヒナスターズが広島に巡業したとき、御大の和田弘がキャバレーのホステスが口ずさむこの曲を無断で採取、宿で寝ていた松平直樹を電話で呼び寄せて検討させた。和田らはドドンパのリズムに乗せてモダン化

ということです。
『お座敷小唄』の方が、巷で歌われていた何かの歌の替歌だったことになります。
では、その歌はどんな歌だったのでしょうか?

「お座敷小唄」は陸奥明作曲「籠の鳥エレジー」(1954年)に酷似しているといわれたが、歌詞は替えられている。

また、

のち、山梨県の詩人・小俣八郎(1914-90)の作った「吉田芸者小唄」がその原型であると認められ、1981年、藤山一郎の歌曲全集にも原作詞者として記載された。

ということは、『吉原エレジー』は小俣八郎の『吉田芸者小唄』の替歌ということになるのでしょうか?
富士吉田の芸者の歌から、戦後赤線地帯の吉原揚屋町のビリヤの歌に変貌したというわけか?
一般的に言って、この手の替歌は、流行歌の節をいただいて作られることが多い。

年代的に言って、『お座敷小唄』(1964)が『吉原エレジー』より先にあったということはあり得ません。
1964年に、和田弘が広島のキャバレーで聞いたホステスが歌っていた歌というのは、
『吉田芸者小唄』だったのでしょうか? それとも『吉原エレジー』だったのでしょうか?

これ以上は調べようもなく、ひとまず、ここまでということにしておきます。