ども。ミロです。
前回はテレビの青春学園ドラマの歴史を紹介しましたが、
当時は現実の学校生活からの類推で子供なりの理解で見ていたと思います。
実際の学校では、教師の監視下で生活するわけで、
悪ガキだった私は、いつも睨まれていました。
だから、ドラマと現実を取り違えることはなかったと思います。
「青春ドラマシリーズ」はドラマとして面白かったし、
時に感動で涙が湧いてくることも有りました。
でも,所詮、絵空事という認識はありました。
私の子供時代は、それほど甘いものではありませんでした。
親の転勤によって、いつも余所者の立場になることが多かったからです。
おまけに悪ガキだったので、
教師からも同級生からも印付きで見られることが多かった。
家庭だって安定した幸福な家庭とはとても言えなかった。
どうして俺は子供なんだ!と歯噛みしたことが何度あったことか!
…いかん、いかん!
この話に入っちゃうと私の大暗黒時代に触れねばならなくなるので、
ここはさらりとやり過ごしてしまおう!
ともかく、ここでは子供だってすでに大人並の感受性は持っていることだけ確認しておこう!
教師に差別された記憶は、大人になっても忘れないものだ。
それこそが「学校」の持つ教育効果という奴だろう。
こちとら、しっかり教育されてまっせ!
太陽がいっぱい
太陽がいっぱい
太陽がいっぱい
太陽がいっぱい
太陽がいっぱい
書いても書いてもまっくらだ。それでも、魂の遥かなボクシング・ジム、新宿の三流映画館、予備校の便所、たそがれの鉄橋の上で、友よ、さびしいときは「口の運動」をくりかえせ!
太陽がいっぱい
太陽がいっぱい
太陽がいっぱい
太陽がいっぱい
太陽がいっぱい (寺山修司)
「青春ドラマシリーズ」はドラマよりも主題歌の方に深い思い入れがある。
たぶん、「口の運動」ならぬ「喉の運動」で、
さびしい心を明るくしようとしたのだろう。
『われら青春』と『俺たちの旅』はDVD等で全集を持ってるけど、
いま再び見ておもしろかったのは『俺たちの旅』の方です。
劇画的リアリズムの洗礼を受けてしまったあとでは、
もはや「青春学園シリーズ」の単純なロマン主義に戻ることは難しいです。
『俺たちの旅』には職業とか社会との格闘が描かれています。
そこらへんに普遍的なものが感じられるんだろうな。
同じことが『太陽のあいつ』と『太陽野郎』についても言えるようだ。
『太陽のあいつ』をもう一度見たいとは思わないが
牧場経営を描いている『太陽野郎』は、ドラマの方ももういちど確認したいと思うんだよね。
主題歌はどっちも好きだけど、
ドラマとなると関心の向く先は分かれます。
ジャニーズ「太陽のあいつ」1967年
作詞:岩谷時子 作曲:いずみたく
歌っているのは、元祖ジャニーズです。
ジャニー喜多川が趣味で野球のコーチをしていた少年野球チーム「ジャニーズ少年野球団」の中から選ばれた4人組のアイドル・グループでした。
エレキの音がたまりません!
素朴なんだけど、この音がなんともいい雰囲気を出してます!
寺内タケシとバニーズ「太陽野郎」1967年
作詞:岩谷時子 作曲:いずみたく
こちらのエレキ演奏は本格派です!
なんといってもエレキギターそのものを作っちまった、
テリーこと寺内タケシ率いるバニーズが演奏しています。
これを聞いちゃうと、おじさんも乗っちゃいます!(笑)
せっかく『太陽がいっぱい』をとりあげたんだから、
こちらも聞いてしまいましょう!
アラン・ドロン、衝撃的でした!
人相の美形といい、ピカレスクなストーリーといい、
完璧に計算された映画でした。
哀愁を感じさせる主題歌は、何度聞いても素晴らしいです。
悪と隣り合わせの青春というストーリーは、
石原慎太郎『太陽の季節』に近いものを感じさせます。
『太陽がいっぱい』1960年
もっとも、フランスのヌーベル・バーグ、
なかでもフランソワ・トリフォーに与えた日活映画『狂った果実』の影響は有名です。
絵画の世界で印象派に日本の浮世絵が影響を与えたように、
料理の世界でヌーベル・キュイジーヌに日本の懐石料理が影響を与えたように、
映画の世界でも、石原慎太郎原作、中平康監督の日活映画『狂った果実』が、
フランスのヌーベル・バーグに影響を与えていたというのは、
日本人として誇らしい事実です。
ヌーベル・バーグの監督を代表して、
ミケランジェロ・アントニオーニ監督の作品の主題歌を紹介して今回は終わりたいと思います。
曲のタイトルは『太陽はひとりぼっち』です。
『太陽はひとりぼっち』1962年