昨日のこのブログへの訪問者数が、いつもの5倍くらいになっています。
BS2で『とことん!石ノ森章太郎』をみて興味を持った人が、
Yahoo!とかGoogleで検索して、このブログにたどり着いたのでしょう。
一期一会、これも何かの縁なので、
今日もサービス?で、もう1発、「石ノ森ネタ」で行きたいと思います。
わたしが中学生でマンガ少年だった頃、何かのきっかけで父から聞いた話です。
石ノ森章太郎が高校生だった頃、かれは毎日授業中にマンガを描いていて、
先生はそれを見ても黙認していたという話です。
どういう状況なのかがわからず、
ずっと私の中で引っかかったままのエピソードだったのですが、
昨晩の『とことん!石ノ森章太郎』に出演した小野寺丈さん(石ノ森氏長男)の話を聞いて、
おぼろげながら状況が見えてきました。
石ノ森氏の父は公務員で、石ノ森氏も公務員にしたいと思っていたそうです。
もちろんマンガ家になるなんて大反対で、
マンガを描いてるのを見つけると、破り捨てることもあったということです。
しかし石ノ森章太郎は、高校2年の時にプロのマンガ家としてデビューしてしまいます。
多分、この頃の話なのでしょう。
ひとくちに「マンガを描く」といっても、
ノートに鉛筆で走り描きするわけではありません。
まず用紙は、B4判のケント紙か模造紙、下書き用の鉛筆、定規、消しゴム、ペン、墨汁か黒インク、
ホワイト用ポスターカラー、羽根ほうきといった用具を、最低揃えたいところです。
学校でマンガを描いていた石ノ森氏は、どの程度の装備で描いていたのでしょうか? 興味のあるところです。
私の頃でさえ、マンガはPTAの敵でしたから、
そのマンガ自体を創りつつあった石ノ森氏が受けた反対がどの程度のものであったか、
想像して余りがあります。
家で描くだけでは間に合わなくて学校で描いていたのか、
家では大っぴらに描けないので学校で描いていたのか、
そこら辺の真相はわかりません。
しかし学校の先生が黙認していたということは、
少なくとも先生は石ノ森氏の状況を理解していたことは確からしく思われます。
石ノ森章太郎の作品を何か持っていなかったか、本棚を探してみました。
見つけたのがこれで、『快傑ハリマオ』の文庫版ですね。
これは別な人の原作の人気テレビ番組をマンガ化したものです。
テレビ番組の方は私も大ファンでした。
いまはDVDで全集が出てるので見ることが出来ます。
『サイボーグ009』とか『GR7』とかほかにも持っていましたが、
ずいぶん前にいとこにあげたり、古本屋行きになったりで、
あとは『とことん!石ノ森章太郎』を本にしたような内容の分厚い雑誌が2冊、
どこかにしまってあるだけです。