7年目突入か!
NHKBSプレミアム『にっぽん縦断 こころ旅』は、
2011年に始まった当初は、こんなに続くとは思わなかったが、
東日本大震災の時期を経過して、
生々しい傷あとが残る東北の被災地各地を、自転車で走り抜けてくれたときは、
1日も見逃せなかったことを思い出す。
視聴者の「心の風景」を紹介する手紙が番組に届けられ、
俳優・火野正平が自転車「チャリオ」を駆って、
その風景を探して訪ねるという、新趣向の旅番組といっていいだろう。
でも、ふつうは、すっかり忘れていたり、
仕事が忙しかったりして見逃してしまうことも多いんだよね。
その一方で、「とうちゃこ版」が始まる午後7時に合わせて、
夕食をとることも多い。
なぜか、この番組に戻ってきてしまうんだよな。
日本列島の隅々まで見せてくれるので、
観光案内には決して載ることがないような日常の風景が、
かえって新鮮に感じる。
『にっぽん縦断こころ旅』主題歌「こころたび」 池田綾子/歌
作詞/池田綾子 作曲/平井真美子
昨日の放送では、視聴者からのリクエストで、
かつて火野正平が子役時代に出演していた人気番組、
『わんぱく砦』の主題歌を歌っていたが、
私と同じところまでしか歌えないことを知って、笑ってしまった。
『わんぱく砦』ABCテレビ(朝日放送)1966年
左・火野正平 伴刀左ェ門役
「わんぱく砦」主題歌(不完全版)
むかしの兵隊さんは 鉄砲かついでとっとこと
いまの兵隊さんは ジェット機飛ばしてゴーゴーゴー
いまもむかしも変わらぬものは いたずら小僧の泣き笑い
わんぱく大将竜之介 バンバンそろばん刀左ェ門
……
私も歌えるのはここまで!(笑)
そのあとの歌詞も節も、思い出せない。
腹が立ったら 逆立ちしよか
空と山とが 宙返り
というような歌詞もどこかにあったような記憶があるが、
はっきりしない。
子役当時は、二瓶 康一という本名で出演していたようだが、
NHK大河ドラマ『国盗り物語』で木下藤吉郎役で出演した時、
火野正平という芸名に改名をしたのを見て、
子役時代とのあまりのギャップを感じてしまって、
「エッラそうな名前!」と思った記憶がある。
その後、新藤恵美、紀比呂子といった、
当時私があこがれていた女優たちを、つぎつぎに毒牙にかけ、
悔しい思いをすることになるのだが。(笑)
わたしにも「心の風景」がある。
でも、その多くはすでに破壊されてしまっていて、
いまふたたび訪れても、もうそこにはない。
就学前の子供の頃に遊んでいた、
自然に関する基本的な関心と知識を呼び起こされた三峰山は、
職業訓練学校の建設のためや住宅建設のために削られて、
いまは面影をたどることさえ困難だ。
あの頂上付近に立っていた忠魂碑は、どこへいってしまったのだろう?
長面浦は、父母を連れて一日ハゼ釣りやカレイ釣りをして遊んだ、
楽しい思い出のあるところだ。
長面浦は、いまも津波訴訟の続く大川小学校の脇の道路を、どこまでも進んだ先にある。
東日本大震災時、大津波に襲われて以降は、
いまでは橋も落ちて、海が内陸部まで侵入してきており、
対岸に渡ることもできないようだ。
当時『釣り東北』に記事を書いていた●さんが車で通りかかり、
私たち家族に声をかけてくれたことを思い出す。
彼もすでにこの世にない。(いま、名前を思い出せないので、思い出した時点で書き直すことにする)
私の「心の風景」は、
いまは文字通り私の「心」の中にしかなく、
もう誰もたどり直すことはできない。
せめて他人の「心の風景」を、これからも見させてもらおう。
火野正平も、5月30日が来ると68歳だろう?
何歳まで走り続けるつもりだろう?
番組の中で倒れるシーンは見たくないので、
体に気をつけて走り続けてほしい。
はあはあいいながら自転車をこぐ姿を見るたび、
そんな不安を感じているのは、私だけだろうか?
私だけだな、きっと。(笑)
わんぱくマーチ(『わんぱく砦』主題歌)1966年
作詞/しょうめぐみ 作曲/吉田栄治 歌/中森孝子、横田浩和
2019/7/14追記
(2017年5月18日初投稿)
追悼──火野正平さん、2024年11月14日死去
腰を痛めたということで『にっぽん縦断こころ旅』への出演を休み、柄本明や田中美佐子などいろいろな役者さんたちが代わりに出演して番組をつないでくれていた。わたしも復活を待っていたが、残念な情報が飛び込んできた。
男の優しさが一つ、世界から消えた。
火野正平のいない『にっぽん縦断こころ旅』は考えられない。
ご冥福をお祈りします。合掌。