赤塚不二夫昇天! 

ひさびさに遅く目が覚めて、
新聞を広げると、
赤塚不二夫が亡くなっていました。


ギャグ・マンガなんて言葉は、
赤塚不二夫の漫画と一緒に知った世代です。


なんか赤塚不二夫の作品持ってなかったかな、
と思って部屋中探してみたんですが、
見えるところにはありませんでした。


『ひみつのアッコちゃん』は、
とうの昔に古本屋へ売っぱらっているけど、
『メチャクチャ№1』とかマニアックなヤツが残ってるはずなんですが…
どっかの段ボール箱の底に眠っているようで、
見つかりませんでした。


昭和40年代のマンガ雑誌はすぐ手元にあって、
開いてみると、
「おそ松くん」「もーれつア太郎」「レッツラ・ゴン」
なんてのが連載されています。



昭和30年代の雑誌となると、
やはりどっかの段ボール箱の中、ということになります。



この1冊だけがありました。

トキワ荘グループの一員としても有名ですね。

木造アパート・トキワ荘は、
手塚治虫が間借りしていたことから、
当時のマンガ家を目指している青年たちが集まり、
赤塚不二夫
石森章太郎
藤子不二雄
寺田ヒロオ
水野英子
つのだじろう

などなど、
次の時代のマンガ・シーンを担う
錚々たるメンバーが雌伏していたことで知られています。


私の記憶に残っている赤塚不二夫のエピソードをひとつ、
最後に紹介して今日は終わろうと思います。


これは赤塚がすっかり売れっ子になっていた時代、
1980年代くらいの話だったと思います。


ある酒場で、
赤塚が何人かの人々といつものように飲んでいた時、
「お金が使い切れなくて困っているんだ…」
ぼそっと赤塚が言ったそうです。


それを聞いた唐十郎がびっくりして、
「じゃあ、僕にちょうだい!」
と冗談で言ったら、
「300万円くらいだったらいいよ」
と赤塚が言い、
あとで本当にポンとくれたということです。


この金額、私がちょっとうろ覚えなもので、
もっと高かったような気もします。
500万円といったような気も…!?


から十郎じゅうろうってご存知でしょうか?
寺山修司とともに60年代から70年代にかけて、
アングラ演劇ブームを巻き起こした張本人ですが、
大鶴義丹の父と言ったほうがわかるかな?


演劇を劇場から街の喧噪けんそうのなかに持ち出し、
仮設の赤テントの中に客を集めて演劇を披露していました。


赤塚からもらった金で唐は、
古くなった赤テントを新しく買い替えたと言ってました。


この買い換えた赤テント、
じつは私は見たことがあります。
仙台市の榴が岡公園で当時の「唐組」が、
『電子城~背中だけの騎士』を上演したことがあって、
女優李麗仙の堂々たる見栄を切る姿が、
今も焼きついています。

その直後に、
唐と李麗仙は離婚してしまいますが。


そのときに
ピークが2つある大きな新しい赤テントを見ました。
その前の赤テントは、
映画『四季・奈津子』で見ることができますが、
ずいぶん狭そうだなと思った記憶があります。


チャンスがあれば、
ぜひ見てほしいと思います。