明治神宮の森

♪ 雨の外苑 夜霧の日比谷
  いまもこの目に やさしく浮かぶ
  君はどうして いるだろか…


この歌に歌われている「外苑」とは、
明治神宮外苑のことで、
敷地内には、神宮球場や、
さまざまなスポーツ施設や文化施設があります。

明治神宮大鳥居

(『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

そもそも明治神宮は、
明治天皇と皇后の昭憲皇太后を祀った神社なわけです。

明治天皇は、
徳川幕府からの大政奉還を受け、
明治新政府を樹立し、
日本近代化の大事業の先頭に立たれた天皇ですね。
この時、若干16歳です。


その後、
日清・日露の両戦争を日本の存亡をかけて戦い、
勝利した天皇でもあります。
たいへんな生涯でした。

その頃の中国大陸は、
欧米諸国が互いの権益を求めてうごめき、
アジアの諸国は欧米の植民地にされていた時代です。

ひとつ間違えれば、
日本もその餌食になってしまう恐れがありました。

そんなおふたりの遺徳を偲び、
国民からふたりを祀る神社を求める機運が高まったということです。
そうして、
境内のほとんどが、
全国青年団の勤労奉仕により造苑整備されました。

諸施設の建造費は、
内苑は国の予算で、
外苑は国民の公平な寄付金により賄われました。
1920年(大正9年)のことです。


神社には「鎮守の森」が付き物です。
日本には古来より、
巨樹を依り代として神が社に降りて来るという思想がありました。
だから、どんな小さな神社にも、
それ相応の鎮守の森がセットとして整備されてきました。

明治神宮の森は、
首都・東京に 「永遠の森」を作るべく構想された、
世紀の大事業でした。

日本全国から献木が届き、
北は樺太からふとから南は台湾まで、
満州(中国東北部)や朝鮮からも、
全部で約10万本、365種の木が奉献され、
11万人に及ぶ青年団の勤労奉仕によって植林されました。

こうして明治神宮の森が誕生しました。
その地名から、
代々木のやしろとか、
代々木のもりなどとも呼ばれます。

まさに、
近代国家・日本の統合の象徴であり、
大都会の中につくられた一大人工林という、
植物学、土木技術の粋をつくした国家的事業でもありました。


いまでは、
東京の気候に合った246種類、17万本ほどが残り、
自然林の相を呈しています。
武蔵野の面影を残す、
豊かな自然が大都会の中に生まれました。

新川二郎『東京の灯よいつまでも』