佐野美津男『浮浪児の栄光』を読む

「ネリカン・ブルース」の変遷

『可愛いスーチャン』から『練鑑ブルース』へ『浮浪児の栄光』の「資料編」として、「ネリカン・ブルース」の変遷を取り上げたいと思います。『浮浪児の栄光』──佐野美津男の不良少年入門で紹介した『練鑑ねりかんブルース』は、基本形のフル・バージョンで...
佐野美津男『浮浪児の栄光』を読む

『浮浪児の栄光』──佐野美津男の不良少年入門

「浮浪児」について調べている過程で、この一冊と出会った。『浮浪児の栄光』(小峰書店 1983、初出1962)、著者の名は、佐野美津男。あれ? この名前、どこかで聞いたことがあるぞ。どこだっけなあ! 思い出せない。ウィキを見てみたら、こんな記...
乞食眼レーダー

「第25回 定禅寺ストリートジャズフェスティバルin仙台」に行って来た

9月12日(土)、「第25回 定禅寺ストリートジャズフェスティバルin仙台」(2015.9.12≫9.13)を聴きに仙台市まで行って来ました。前日までは大雨警報が出て、こちら栗原市でも川が氾濫し、死亡者1、行方不明者1の被害が出ていました。...
戦後70年

GHQは日本で「何を」やっていったのか?

きょうは、占領期間中にGHQがなにをやっていったのか、駆け足になりますが見てみたいと思います。わが国が歴史上初めて味わった「敗戦」と「占領」という屈辱の、おおまかなイメージを把握することにここでは主眼を置き、早くつぎの「各論」へ行きたいとい...
戦後70年

「平和ボケ」と「戦争ボケ」

「平和ボケ」という言葉が氾濫するようになって久しいが、これはいつ頃、誰が最初に使ったものだろう?たしかに、石原慎太郎が言うように、じっさいにミサイルの数発が都市住民の上に降り注がないと目が覚めないほど、われわれの「平和ボケ」は重症なのかもし...
戦後70年

国破れて、「青い山脈」あり──歌謡曲史からひもとく戦後

きょうはちょっと目先を変えて、占領期の日本の様子を、占領期の歌謡曲史をとおして見てみたいと思います。南の島々の玉砕を聞き、日本全土の都市がB29による空襲を受け、いよいよ本土決戦の覚悟にせまられて、死を覚悟したころ、突如、ひとびとはラジオか...
戦後70年

「戦後70年 安倍首相談話」──罰としての談話

国内外から求められていた4つのキーワードを散りばめた、「四題噺」としての「戦後70年談話」が出ました。   「戦後70年 安倍首相談話」全文は、こちらから「侵略」「植民地支配」「反省」「おわび」をどう入れるか?そこに国内の反政府勢力やアメリ...
戦後70年

「戦後70年談話 21世紀構想懇談会報告書」わたしの感想

いったい一国の首相が語る「談話」とはなんであろうか?国内向けというよりは、「対外国向け」に出すものなのだろう。だとすれば、そこには必ず「戦略」がなければならない。第二次世界大戦終了後70年目の年である。この時にあたって日本の首相に求められて...
戦後70年

GHQによる日本人「洗脳」計画

「洗脳」という言葉の起源GHQによる日本人の「洗脳」という用語を、なんの説明もなしに使って来ましたが、じつはアメリカ側の文書に「洗脳」という言葉は出て来ません。なぜなら、1945年(昭和20年)当時、「洗脳」=「Brainwashing」(...
戦後70年

「ポツダム宣言」と日本終戦の日

日本の終戦の日は、一九四五年九月二日である──といったら、あなたは意外に思うでしょうか?その日、東京湾上に停泊した米国戦艦ミズーリの上で、日本の全権・重光葵と参謀総長・梅津美治郎が、降伏文書に調印をしました。日本の戦争はこの瞬間に終わり、第...