東北大震災 その後

ども。ミロです。ポポポポ~ン!
(これで友達なくしちゃったな)

昨日まで、朝から晩まで東北大震災の特別番組一色だったテレビが、
きょうからは普通に戻ったようです。

CMだけは相変わらずポポポポ~ン!ばっかりですが…

すでに大地震が起きてから10日が経ちました。
これまでの経過をかいつまんで話しておきたいと思います。


<3月11日>(金)

東日本太平洋沖地震発生。栗原市は最大震度7。
直後から停電。水道断水。固定電話、携帯電話不通。

携帯電話のテレビで、気仙沼、南三陸町が大津波で壊滅したことを知る。
携帯の電気を使いきった。

自家用車のラジオで、岩手県の陸前高田や、仙台圏の荒浜、閖上なども大津波で壊滅したことを知る。

懐中電灯、石油ストーブを用意し、夜に備える。

強い余震が一晩中つづいた。

酒飲んで寝た。


<3月12日>(土)

新聞で各地の詳しい被災状況を知る。
南三陸町の町長が行方不明とのこと。災害対応はだいじょうぶかな?

浜の漁村は、小さな集落が点在しているので、
交通が寸断されてしまったら、
孤立して生存している人々を把握しきれるのだろうか?

被害者救済の難しさを感じる。
手遅れにならなければいいが。

福島原発では、ゴジラ映画で見たようなことが現実に起こっていた。
これさえなければ、被災者救済にもっと国の力が注がれただろうに、
国なんてどこにあるのか分からない状態になってしまっている。

近所のスーパーは照明が無く、店内が暗いまま営業。
卵2パック、牛乳2本ほか確保。

マグライト、ラジオ付きライト、水缶を家探しして見つける。

お隣から井戸水を分けてもらう。

午後、パート勤務中の店へ。当分、自宅待機を申し渡される。
DC12V→AC100Vコンバーターを買って来た。

市の災害広報が配られ、給水車が来ていることを知り、飲料水を確保。


今日も一日、余震がつづいた。いつ強い余震が来るか、不安が残った。

携帯(softbank)は圏外表示のまま。中継局が被災した模様。

閖上の近くにハンギングバスケット仲間がいたことを思い出し、
被災してないか心配する。

昨日買っておいたホヤを酢の物にして食べた。
もう少しすれば出回って安くなると思い、1個しか買って来なかった。

しかし、大津波で三陸沿岸の漁業は壊滅したし、
ホヤの養殖棚もあとかたも無いと思われ、
ことし最初で最後のホヤになるかも知れない。

酒を飲んで寝た。

<3月13日>(日)

車から電源をとり、パソコンで確定申告用決算書作成。

本来は提出は15日までだが、今回は大震災のため期限をなくすらしい。
でも、早く終わらせてビジネスに集中したいので、
時間があるうちに処理する予定。

きょうも大きな余震は来なかった。

酒を切らしたので、ウィスキーを飲んで寝た。


<3月14日>(月)

今日も一日、確定申告用決算書作成。

自衛隊の災害派遣部隊が町内を通過していった。

方向からして、志津川(南三陸町)へ向かったのではないかと思う。

頼もしいぜ! 自衛隊!
期待できるのはあんたたちだけだ!

近所のスーパーへ、マグライトを持って食料を買い出しに。

野菜の棚から、精肉、鮮魚の棚は空っぽ。
マグロの刺身とタコ刺しが3パックばかり置いてあった。

なぜか寿司飯(メシだけ!)が売れ残っていて、半額以下に値下げされていた。
ラッキー!と思い、刺身といっしょに買った。

一の蔵の辛口を売っていたので、これも補充!

おかげでこの日は、昼と夜、
にぎりを腹いっぱい食った!

被災後3日目にして、通常以上に豊かな食事となってしまった。
でも、今度三陸産の鮮魚を口に出来るのはいつの日か?
むなしい話だ。

酒(一の蔵)を飲んで寝た。


<3月15日>(火)

確定申告は本日まで。なんとか提出書類を書き終えた。

しかし、税務署以外では受け付け停止中だという。
被災地では期限もないそうなので、
ガソリンが残り少ないため、提出は後回しにする。

昼ごろ、給水を受けに行く。
滋賀県の甲賀市の給水車が応援に来ていた。

車の中で睡眠をとりながら、応援に駆け付けてくれたという。
ありがとう!

さすがは忍者の里だけあって、行動が迅速だわ!


畑からネギを数本掘り返した。
まだ20本ほど残っている。

焼き鳥で一杯やって寝た。

冷蔵庫が機能してないので、これ以上鶏肉がもちそうになかったので、
処分した形だ。


<3月16日>(水)

携帯を見ると、きょうはなぜか朝からアンテナが3本立っていた。
いつもは「圏外」になってるのに。
もしかしたら、通じるかも?

かけてみたら3人目でつながった!

いやあ、ほんの一瞬のチャンスだね!

仙台方面のハンギングバスケット仲間の安否を確認した。

心配していた閖上の近くに住む仲間も無事だったようだ。
家の前まで津波が瓦礫を運んで来たが、
いまも自宅で生活してるらしい。

とりあえず一安心!

携帯が使えるうちに、ヤフオクを確認して、
落札者に短い連絡をしておいた。

だが、午後にはまた「圏外」表示に。
なんだったんだろう?

午後2時頃、電気が回復した。

テレビで各地の被災状況を食い入るようにして見た。

郵便局員が、海外からの荷物を届けに来た。
すべてがいっぺんにやって来た感じ!

しかし、まだインターネットにはつながらない。
回線にトラブルが生じているらしかった。

缶ビールを飲んで寝た。


<3月17日>(木)

雪。

電気が通ったし、近くのガソリンスタンドがあくかも知れないと思って、
行ってみたら行列が出来ていた。

けっきょく従業員は現れず、無駄足になった。

とうとうガソリンのインジケーターの赤ランプがついた。

これからは買い出しも水汲みも、徒歩で行かねばならない。

固定電話がつながって、親戚関係の無事がようやく確認出来た。

最後のウィスキーを飲んで寝た。


<3月18日>(金)

晴れ。

徒歩で給水を受けに行った。
10分ほど歩いただけなので、近いことに感謝しなければならない。
きょうは大阪府の給水車が来ていた。
ありがとう!

スーパーへも徒歩で買い物に行った。
できたてのスパゲッティを売っていたので、昼食用に買って帰った。

酒やウィスキー、缶ビールは売り切れていた。


夕方、ふとパソコンのモデムを見たら、
インジケーターが4つ点いていた。

ようやくインターネットにつながった!

ヤフオク、アマゾン、メールを確認した。

船原さんから、東日本大震災の被災者のために募金協力のメールが来ていた。
すぐに振込の手続きをとった。

最後の缶ビールを飲んで寝た。


3月20日(日)

本日は春を感じさせる暖かい日差しでした。

でもまだ、断水は終わってないし、ガソリンスタンドもほとんどがしまったままです。

海で発見された何百もの遺体も、いまだに収容されずに、水漬くままになっています。

瓦礫を片付ける過程で発見される人もたくさん出て来るのではないでしょうか?


個々の生命が失われただけでなく、宮城県の漁村文化が根こそぎ失われたということです。
これを恢復することなんてできるのでしょうか?

少なくともこれから10年間は、この出来事に終わりは来ないと思います。


15メートルの津波にも耐えられる港づくり!をするか?
それとも、自然に抗することはあきらめて、すべての浜辺から日本人は撤退するのか?

日本の文化の根幹がかかってくる問題と直面せざるを得ないでしょう。

そのためには最低限、国家を機能するように作り替えないとだめでしょう。
今の日本は国家の体をなしていません!

日本国より先に米軍のヘリが被災地に物資を届けてくれるとは、
日本国はなにをしてるのか?

せっかく自衛隊Japan Self Defence Forceという国民の資産を持ちながら、
政府が活用しきれないのではお話になりません!
シビリアン・コントロールが聞いてあきれます!

自衛隊を「暴力装置」呼ばわりした政府首脳がいましたが、
forceとviolenceの区別もつかない頭の悪い政治家が国家の中枢に居座っているようでは、
国民が救われません!

日本という国家の根本改造をすることなしに、
今回の震災の犠牲者に報いる道はないと思います。