桜・ソメイヨシノの起源は、日本です。――日本への文化テロに反撃せよ!

桜が咲いたという話題が、
日本の津々浦々から聞こえてくる季節になりました。
春だねえ。

ソメイヨシノ Prunus × yedoensis


…お隣の国から「いつもの話題」が聞こえてくる季節でもあります。
気持ちを新たにして、美しい桜を愛でる、ということは出来ないのかね?

ソメイヨシノの起源論争に終止符!韓国・済州島が“唯一の起源”・・韓国ネットは「学会で証明された」「日本は自分たちのものと言い張っているが…」(Yahooニュース)

このニュースにけっこう動揺している我が国のブロガーもいるようなので、
きょうはこのニュース記事に書かれた韓国の主張に「反論」したいと思います。

記事の要点をまとめておきますと、

・済州島でソメイヨシノの自生木100本が発見された。
・ソメイヨシノに関しては、長い間、日本との間で起源論争が続いてきた。
・ソメイヨシノの起源には、伊豆大島自生説・雑種説・伊豆半島発生説・済州島自生説の4説がある。
・済州島自生説は、個体数が少ないために否定されてしまった。
・「韓国国立山林科学院 暖帯亜熱帯森林研究所」によると、済州島の漢拏山に自生するソメイヨシノは今までに100本余り発見されている。
・樹齢は若木から200年以上まで多様。
・海抜450~850メートルの天然林に均等に分布し、葉や花、種子などの変化の幅が大きい。
・植物分類学者のムン・ミョンオク博士は、植物の原産地を確定するためには「自然な状態で育っていることが基本的な必要条件」と指摘。個体数の多さや、周辺に近縁種が存在していることなどと合わせ「ソメイヨシノは済州島が起源であることが確実だ」と断言。
・暖帯亜熱帯森林研究所長キム・チャンス博士は、「済州島が唯一のソメイヨシノの原産地であり、交雑種と呼ばれる根拠もない」と主張している。

この韓国の研究は、
ソメイヨシノはなぜソメイヨシノと呼ぶのか? という厳然たる事実を無視するところから始めています。

韓国研究者がソメイヨシノと呼んでいる桜が、本当に日本人が言うところのソメイヨシノなのか?
という根本的な疑問が残ります。

それを考えていく前に、
祖父の代から三代にわたって、京都の「桜守(さくらもり)」をしている植木職人、
佐野籐右衛門さんのお話を聞いてみましょう。

籐右衛門さんの著書『桜のいのち庭のこころ』(草思社)から、
ソメイヨシノについて触れている部分を抜書きしてみます。

桜守・佐野籐右衛門さんのお話

ソメイヨシノの実からあの花は出ませんのや。みんな接ぎ木で育てとるんです。

まず、ソメイヨシノはオオシマサクラとエドヒガンザクラのたった1本の自然交配種を親として、
日本人の手で「接ぎ木」で、人工的に繁殖されてきたものだということを確認しておきましょう。

自生木100本? なに、それ?
ソメイヨシノに自生木なんてあるわけがない!

ソメイヨシノは人間がつくって人間が植えたものやから、最後まで人間がかかわらんと育ちませんのや。

実生(みしょう)でするのはヤマザクラ、ヒガンザクラ、オオシマザクラ。それ以外はぜんぶ接ぎ木でないとあきませんのや。雌しべが退化しておるから。

ですから日本の桜は、元はヒマラヤが原産なんですわ。日本に来るまでに長い年月をかけてきたんでしょうな。
 ヤマザクラ、ヒガンザクラ、オオシマザクラはみな自生です。今あるたくさんの品種は、それからの突然変異ですわ。

突然変異種(ミュータント)に繁殖力がないことは、科学者なら誰でも知っている常識ですね。
それと、韓国が「韓国原産だ!」と言い張る桜も、すべてヒマラヤ原産であることは、動かしがたい事実です。

ソメイヨシノは寿命が短いですわな。百年以内で枯れるんやから。

ソメイヨシノというのは、まだできて百五十年以内しかたっていませんわね。東京の染井村でつくられたから、そういう名前がついているんです。わりあい活着率がよかったんで急激に増えてしもうたんやね。

ソメイヨシノのあるところは、百年くらいの歴史しかないんです。そやから、わしはあれほどつまらん桜はないといっておるんです。

樹齢は若木から200年以上まで多様。(Yahooニュース)

ほうほう。200年以上ね。…
ソメイヨシノではないってことだ。

それと、桜は軍隊とともに歩んでいるんですわ。ほとんどの連隊のあとには、みな桜並木がありますわ。だいたい4月の入営に合わせて花が咲くようにね。

…韓国の桜事情にだんだん近づいてきましたね。
大東亜戦争中、韓国も「大日本帝国」の一員だったもんな。

韓国各地の町に、大日本帝国陸軍の師団司令部 、歩兵連隊、騎兵連隊、野砲兵連隊などが置かれました。
日本本土と同じように、です。半島は日本でしたから。
当然その地にも、たくさんの桜の木が植えられたことでしょう。

それから支那事変で徐州陥落、南京入城がありましたやろ。あのときにも、その連隊のある都道府県や、それから勝ち戦のニュースのあったところの軍隊、そういうとこにもものすごくたくさんの記念樹を植えた。それらが残っているのが、いま花見ができる場所なんですわ。

韓国への桜の普及で力を尽くしたのが、
伊藤博文が初代統監だった朝鮮総督府でした。

総督府は、各道庁や警察署のほかにも、
市民が憩う公園のなかった半島各地に、
桜や梅を植樹してたくさんの公園を作りました。
(水間政憲『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』)

水間氏によると、半島の桜は樹齢100年以下のものがほとんどだということです。
これら植樹された桜の多くがソメイヨシノだったと思われます。
それは他の桜の品種に比べて「活着率」がよかったからです。

日本から朝鮮半島へと、ソメイヨシノが渡って行った経緯は、
だいたいわかりましたね。

このソメイヨシノと韓国土着の桜とが自然交配して、
ソメイヨシノの遺伝子を持つ「自生木100本」(F1)が生まれた可能性は考えられます。しかしそれは、ソメイヨシノとは呼べません。

ちょっと話はそれますが、籐右衛門さんによると、
彼のお父さんは戦時中、本願寺門主の大谷光瑞に指示されて、
10万本の桜の苗木を作っていたそうです。

日本軍が勝ち戦の頃に、
中国大陸の奥地を通ってヨーロッパまで続く「シベリア鉄道」を敷く計画があって、
その沿線沿いに100万本の桜を植えようと、大谷光瑞は構想していました。

戦時中の日本人の考えることは、スケールがでかかったなあ!

ということで、この章はこれまで。

竹中 要博士の形態学的研究成果

竹中 要博士

     
<略歴>
1924年(21歳)
 東大の学生時代、牧野富太郎氏にソメイヨシノの原産地が不明であることを聞き興味を持った。
1927年(24歳) 東京帝大理学部植物学科卒。
1929年(26歳) 京城(ソウル)帝大教授 。
1933年(30歳) 済州島ソメイヨシノの調査をするも、祖先種としては否定的。
1945年(42歳) 終戦。
1950年(47歳)  国立遺伝研創立に貢献。 創立直後48種のサクラを収集。
同研究所年報第2号に記載。
1951年(48歳) 親の推定のため、ソメイヨシノの実生の形態学研究。
1954年(51歳) ソメイヨシノ雑種起源説を発表、サクラの収集。
1957年(54歳) オオシマザクラ x エドヒガン 実験的交配。
1961年(58歳) 実生 F1 雑種にソメイヨシノに似た形質を観察。雑種起源の証明、混合分布地帯の調査、原産地の推定。
1966年(63歳) 逝去。
  竹中要博士と遺伝研の桜より


この竹中 要博士が、日本で最初に、
ソメイヨシノがオオシマザクラとエドヒガンザクラを親に持つ交配種であることを、
学問的に立証した方です。
1961年、58歳での偉業ですね!

当時はまだ、遺伝子分析の技術もなかった時代に、
伝統的な形態分析の手法だけで、
園芸品種ソメイヨシノが、日本に自生するオオシマザクラとエドヒガンザクラの自然交配から生まれたことを、
交配実験を通じて立証して見せました。

後に、日本にゲノム分析の技術が確立されてから、
竹中 要博士の説の正しかったことが、遺伝子レベルで実証されました。

※2007年、千葉大や静岡大などの共同研究の結果、
 ソメイヨシノはDNA的に、伊豆諸島特産のオオシマザクラと、
 東アジアに広く分布するエドヒガンの一種コマツオトメとの交配種である可能性が高いことが判明。

ソメイヨシノの原木は、上野公園の1本の木!――千葉大、遺伝子解析し推定

これは今年2015年、それもつい最近の話題です。

ついに千葉大チームの遺伝子解析の研究によって、
ソメイヨシノの最初の1本が、上野公園に咲いている無数の桜の木の中の1本であるというところまで、
可能性が絞り込まれて来ました!

日本の桜、起源は上野?ソメイヨシノの原木か 千葉大が新説(「千葉日報Web」2015年03月13日)
ソメイヨシノは原木から人の手による接ぎ木で広まり、全ての木が同じ遺伝子を持つクローン。チームは上野動物園の表門近くの区画に、ソメイヨシノ4本と、コマツオトメなど近縁種の桜6本が並んで植えられているのに着目。遺伝子を解析すると、6本はソメイヨシノと共通の親木を持つ兄弟の桜と判明した。
 チームは、兄弟が規則正しく並んでいることから、親木を交配して同時期に生まれた桜が一緒に植えられたと考えた。その後、見栄えの良いソメイヨシノが品種改良の成果として選抜されたとみている。
 植えられた時期は、明治時代より古い150年以上前と推測。ソメイヨシノのうち区画の端にある1本が、観賞用ではなく、接ぎ木の枝を採るための原木の可能性があると結論付けた。

早くその1本を確定して、「ソメイヨシノ原木」の標柱が建てられるといいですね!

ソメイヨシノ韓国起源説と「王桜」

ソメイヨシノは、明治初頭(1870年頃)には、樹齢100年級の個体があったとされる記録がある。
その後、江戸の染井村(東京都豊島区駒込)の植木屋の間で栽培・繁殖されることとなる。
日本最古のソメイヨシノ(1882年植栽)は、青森県弘前市の弘前城にあるものである。
旧弘前藩士から寄贈され植樹されたと記録がある。

このように非常に古い日本のソメイヨシノ栽培記録に対して、
全く顧慮することなく、自説を展開しているのが韓国起源説です。

韓国済州島の固有種「王桜」と日本生まれの「ソメイヨシノ」を、
韓国人は普通に混同しているようです。

この混同は、ハングル文字そのものの、
構造的欠陥が原因しているという指摘もあります。
ハングル文字では、日本の漢字やかな文字のように、
ソメイヨシノという「音写」が出来ないのだそうです。

だからソメイヨシノをすぐに、「王桜」と意訳してしまう。
そんな韓国の植物学者にも、混同を広めた責任があるという事です。

韓国の専門的な植物図鑑にも、
ソメイヨシノ=王桜と記載されているという。

公園のソメイヨシノの木には、樹銘プレートに「王桜」と書いてあり、
ソメイヨシノの学名「Prunus × yedoensis」が書いてあるそうです。
この「王桜」、じつはいまだに学名がないのだそうです!
だから、ちゃっかりソメイヨシノの学名をいただいたりしちゃってる!

はっきり言って、まともに取り合うのはどうか?と思うレベルの言いがかりですね。
いつものように、というべきか…

しかし、桜は日本の木だと普通に受け取っていた世界中の人が、
「遺伝子解析の結果、韓国起源だということがわかった」とか言われたらどうだろう?
慰安婦の時みたいに、そのまま信じてしまう人も出てくるのではないだろうか?

これはすでに政治的な「情報戦」に持ち込まれているということであり、
学問の問題からは離れてしまっている。

しかし、日本としては、韓国の主張を論破するために、
いちど、学問の土俵に引きずり戻して、
世界に韓国の誤りを広報していく必要があるでしょう。

すべての動きは、つながっています。
一つとして、手を抜いていいことなどはない。

韓国の存在は、日本の力を鍛え直すための試金石と考え、
つぎつぎに仕掛けてくる文化・歴史テロに対して、
すべて跳ね返した時に、新しい日本が始まると考えたいと思います。

韓国起源説の誤りについては、こちらのサイトが詳しいです。この章を書く参考にさせていただきました。

このはなさくや図鑑~美しい日本の桜~

桜・ソメイヨシノの起源は、日本です」ってこの記事のタイトル、
我ながらバカバカしくなりますが、
こんなアタリマエのことをあえて書かないといけない状況があります。

ソメイヨシノ韓国起源説はいまや韓国政府の公式見解になっており、
世界に向けて広報活動を繰り広げているということです。
そう、慰安婦問題の時みたいに。

日本の総理大臣二人の協力によって、
慰安婦問題では主導権を握ることが出来たという成功体験が、
韓国政府と国民を増長させていると思われます。

これは日本文化にとってがん細胞のようなものであり、
がん細胞は、早期のうちに取り除かなければなりません。

文化・歴史テロリストたちに付け入るスキを与えないように、
ソメイヨシノと日本の桜文化」を、世界文化遺産に登録してはどうでしょうか?

「花見」を代表に、奈良は万葉の昔から、
日本人と桜の間には、深いつながりがあります。

桜湯や桜餅など、桜を利用したフード文化も育まれてきました。

「義経千本桜」などという歌舞伎の演目もありますし、
「遠山の金さん」の桜吹雪の刺青の桜は、
佐野籐右衛門さんによればあれはソメイヨシノだそうです。

籐右衛門さんはまた、桜グッズの収集家でもあるそうなので、
彼の家には桜の歴史がぎっしり詰まっているのではないかな?

ついでに、済州島の王桜に正式な学名を付けてあげ、
ソメイヨシノとの区別をはっきりさせるというのもいいですね!

ぜひ、ソメイヨシノの生まれ故郷である東京都が中心になって動いてほしいと思います。

手始めに、世界に向けて「桜情報」を発信してはいかがでしょうか?
領土問題では日本政府の広報戦略が、実を結びつつ有ります。
情報戦の重要な事が、ようやく日本国民にも浸透してきていると思います。

しきしまの大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花(本居宣長)

これは大東亜戦争時の『同期の桜』にまで続く日本文化のエッセンスでしょう!

初めて武満徹編曲のこの混声合唱を聞いた時、
「人間の声って、最高の楽器なんだ!」と思いました。

本日の1曲は、これしかないですね!

『さくら』 日本古謡 武満 徹/編曲 歌/東京混声合唱団