ども。ミロです。
ちょっとテンション落ちてます。
今回の大震災で、自分の関係者に大津波の犠牲者が出なかったことに、
正直言ってほっとしていたのですが、
実はそうではなかったことが分かってしまったからです。
おなじ職場の仲間で、担当が違うのでたまに話したことがある程度の関係でしたが、
休みを利用して実家の陸前高田に帰っていた二十代の女性がいて、
この子が大津波に遭って行方不明になっていたのでした。
昨日、遺体が確認されたということでした。
同僚たちが泣いていました。
これにはさすがに私もガツンとやられました。
現実という奴は、こう来るか!
またこの日は、大津波で町が壊滅した女川町から年配の男性が、
私の勤める店に水道の補修部品を探してやって来ました。
女川から何十㎞離れているでしょうか?
その間に大きな店のある町がいくつもあるはずなんですが、
なぜか遠く離れたこちらの町まで来たようです。(地震でやられて、みな休業していた!)
大津波で仕事場がまるごと流されて、何も残らなかったと言ってました。
その男性はなにも持ち出さずに高台に逃れたため、命拾いしたそうです。
何かを持ちだそうとして、家に戻った近所の人たちは、
みんな流されたということです。
ほんとうに一瞬の判断が生死を分けてしまうんだな。
女川町は津波対策を何もして来なかったわけではなく、
女川湾の沖の方に、大きな堤防が両側の岸から長く伸びています。
これはかつてチリ地震津波で被害を受けた時に、
津波対策として作られたものだったそうです。
この陸から見て左側の堤防の先端には灯台があって、
釣り人の間では「赤灯台」といって釣りポイントとして有名でした。
私も一度行ったことがあります。
すごく高い堤防で、ちょっと怖いくらいでした。
今回の大津波は、この灯台の半分くらいの高さまで達したそうです!
想像してみて、いかに巨大な海水の塊りが町に押し寄せたのか、
はじめて実感できました。
あまりにも大きすぎた、なにも役に立たなかった、と男性はぽつんと言いました。
私は何か言いたかったけど、言葉を飲み込んでしまいました。
男性のこの言葉が、すべてを物語っていると思いました。

ここんところ、
Googleアースで女川町や南三陸町、石巻市などを見ていました。
壊滅前の街並の衛星写真がみられます。
拡大すると、家の一軒一軒まで判別が付きます。
この家並みがいまは無いなんて…